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大炊御門氏忠 : ウィキペディア日本語版
大炊御門氏忠[おおいのみかど うじただ]

大炊御門 氏忠(おおいのみかど うじただ)は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿正二位権大納言大炊御門、または西大路大納言入道と号す。内大臣大炊御門冬氏の長男。
== 経歴 ==
以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』、『園太暦』、『花園天皇宸記』の記事に従って記述する。
嘉元2年(1304年)1月5日、叙爵。同年12月29日、侍従に任ぜられる。嘉元3年(1305年)4月5日、従五位上に昇叙。また同年12月30日に正五位下に昇叙。嘉元4年(1306年)4月5日、右少将に任ぜられる。延慶元年(1308年)11月14日、従四位下に昇叙。延慶2年(1309年)11月13日、右少将に還任。延慶3年(1310年)2月8日、右中将に転任。延慶4年(1311年)1月17日、従四位上に昇叙。正和2年(1313年)2月6日、正四位下に昇叙。

正和4年(1315年)8月20日、従三位に叙される。右中将は元の如し。文保2年(1318年)1月22日、備中権守を兼ねる。元亨元年(1321年)、正三位に昇叙されたか。元亨2年(1322年)1月26日、参議に任ぜられる。右中将と備中権守は元の如し〔同年6月には父冬氏内大臣に任ぜられるが8月には内大臣を解かれた。〕。元亨3年(1323年)1月13日、権中納言に任ぜられる。元亨4年(1324年)8月16日、父冬氏が薨去。また同年には弟冬信参議に任ぜられた。正中2年(1325年)4月2日、権中納言を辞して従二位に昇叙された。嘉暦4年(1329年)7月28日、本座を許される。元弘元年/元徳3年(1331年)10月5日、正二位に昇叙〔同年中に弟冬信は権大納言となっている。〕。元弘3年/正慶2年(1333年)5月17日、従二位に戻された。弟冬信も権中納言に戻されている。建武2年(1335年)1月5日、改めて正二位に叙せられた。建武4年/延元2年(1337年)7月12日、弟冬信が改めて権大納言に任ぜられる。

康永元年/興国3年(1342年)3月30日、権大納言に任ぜられ、11月21日には権大納言を辞した。康永2年/興国4年(1343年)2月12日、本座を許される。また同年3月には弟冬信が左大将となる。康永4年/興国6年(1345年)9月、弟冬信が内大臣となる。貞和2年/興国7年(1346年)2月18日、弟冬信の内大臣左大将が止められる。貞和5年/正平4年(1349年)12月21日、弟冬信が従一位に叙せられた。観応元年/正平5年(1350年)6月28日、弟冬信が薨去。観応3年/正平7年(1352年)8月19日、出家〔「上皇御供云々」とあるが、8月8日に光厳院が出家したことにならってのことで、氏忠は光厳院に忠義を尽くしたのである。〕。この2日前に後光厳天皇が即位している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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