翻訳と辞書
Words near each other
・ 久我山リカコ
・ 久我山大学
・ 久我山工業専門学校
・ 久我山工業専門学校 (旧制)
・ 久我山稲荷神社
・ 久我山電波工業専門学校
・ 久我山駅
・ 久我広通
・ 久我建通
・ 久我志通
久我惟通
・ 久我敏通
・ 久我敦通
・ 久我晴通
・ 久我朋乃
・ 久我未来
・ 久我梅庵
・ 久我梅菴
・ 久我氏
・ 久我泰博


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

久我惟通 : ミニ英和和英辞書
久我惟通[こが これみち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [われ, が]
 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego 
: [これ]
 (int,n) (uk) this
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 

久我惟通 : ウィキペディア日本語版
久我惟通[こが これみち]
久我惟通(こが これみち、貞享4年10月30日1687年12月4日) - 寛延元年9月29日1748年10月21日))は、江戸時代中期の公卿。主に東山天皇(113代)・中御門天皇(114代)・桜町天皇(115代)の三帝にわたって仕え、官位は従一位右大臣まで昇った。初名は輔通。父は内大臣久我通誠。母は権大納言千種有維の娘。妻は熊本藩細川綱利の養女(熊本新田藩細川利重の娘)。子に右大臣久我通兄がいる。
元禄6年(1693年)に叙爵し、以降清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従左近衛少将左近衛中将を経て、元禄15年(1702年)に従三位となり、公卿に列する。権中納言を経て正徳元年(1711年)に神宮伝奏となる。正徳4年(1714年)に権大納言に任じられる。享保12年(1727年右近衛大将右馬寮御監に就任する。享保15年(1730年)には右近衛大将を辞職して内大臣に転じる。元文元年(1736年)まで務めた。延享2年(1745年)に右大臣に任ぜられるも辞した。
==関連項目==

* 久我家



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「久我惟通」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.