翻訳と辞書
Words near each other
・ 黒田二十四騎
・ 黒田亘
・ 黒田亜梨沙
・ 黒田亜樹
・ 黒田亮
・ 黒田伊彦
・ 黒田休夢
・ 黒田俊介
・ 黒田俊夫
・ 黒田俊幸
黒田俊節
・ 黒田俊雄
・ 黒田保久二
・ 黒田信哉
・ 黒田修理亮
・ 黒田倫弘
・ 黒田健吾
・ 黒田光
・ 黒田光之
・ 黒田八虎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

黒田俊節 : ミニ英和和英辞書
黒田俊節[くろだ しゅんせつ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [じゅん]
 【名詞】 1. excellence 2. genius
: [せつ, ぶし]
  1. (n-suf) tune 2. tone 3. knot 4. knob 5. point

黒田俊節 : ウィキペディア日本語版
黒田俊節[くろだ しゅんせつ]
黒田俊節(くろだ しゅんせつ、1839年(天保10年)- 1884年(明治17年)2月7日)は、江戸明治時代囲碁棋士江戸生まれ、服部正徹門下、方円社にも所属、六段。元の名は源次郎、その後六左衛門、俊三と改名、字は貞文、俊節は雅号。倒幕運動にも参加。
==経歴==
父は武家の出で、浪人して江戸へ出て、露月町で鮓屋「小松鮓」を開き有名となった。ここで生まれた俊節は幼時より碁を好み、12、3歳頃には初段ほどになったのを、服部正徹の目に留まって門下となる。
文久の頃に勤王の志を持ち、京に赴いて鷲尾隆聚に仕え、志士として活動する。戊辰戦争では鷲尾卿をたすけて会津、新潟と転戦して軍功を挙げた。明治になり鷲尾家家令の春木義彰の家に勤める。その後大阪で商人に転身するが失敗。西区土佐堀裏町で碁席を設け、多くの門人を集めた。
1877年(明治10年)に来阪した林秀栄と十番碁を打ち、互先で6勝4敗と勝ち越す。1879年(明治12年)に東京へ出て、設立されたばかりの方円社で村瀬秀甫中川亀三郎らと対局、秀甫との十番碁では定先で4連敗となる。しかし小林鉄次郎に打ち分け、高橋杵三郎に2連勝し、方円社に加わって六段を認められた。1884年に大阪の自宅で死去。
秀甫との十番碁の3連敗後の第4局で、「御免」と言いざまに1手目を天元に打ったという碁が知られている。戊辰戦争では土方久元、蒲生弘などと深い交友があった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「黒田俊節」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.