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馬奈木敬信 : ミニ英和和英辞書
馬奈木敬信[まなき たかのぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

馬奈木敬信 : ウィキペディア日本語版
馬奈木敬信[まなき たかのぶ]

馬奈木 敬信(まなき たかのぶ、1894年明治27年)8月19日 - 1979年昭和54年)11月4日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将
==経歴==
福岡県出身。農業・馬奈木夘一郎の六男として生れる。中学修猷館熊本陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第13連隊付となる。独立守備第6大隊付などを経て、1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)を卒業した。
1925年(大正14年)12月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員(ドイツ班)、ドイツ大使館付武官補佐官、参謀本部付を経て、1931年(昭和6年)8月、歩兵少佐に昇進し参謀本部員に就任。この時期、国家革新論を支持し、十月事件にも参画している。1932年(昭和7年)8月、歩兵第50連隊大隊長に発令され、陸大教官を経て、1935年(昭和10年)8月、歩兵中佐に進級し参謀本部員に着任。南方出張、参謀本部付、ベルリン駐在(諜報)を歴任し、1938年(昭和13年)7月、歩兵大佐に昇進した。ドイツとの関係が深く、参謀本部時代には駐日ドイツ大使館に連絡のため足繁く通い、ドイツ大使ヘルベルト・フォン・ディルクゼン、駐在武官オイゲン・オットと親交を結ぶ間柄であった。
1936年(昭和11年)の二・二六事件の際には戒厳司令部発足に伴い戒厳参謀に任命されている(下記参照)。事件後は磯部浅一による獄中告発書や匂坂春平が残した裁判資料に名前が載るなど、事件関係者から注目された。
1939年(昭和14年)3月、オランダ公使館付武官となり、1940年(昭和15年)3月、歩兵第79連隊長に着任し日中戦争に出征。以後、北支那方面軍司令部付、陸軍省軍務局付(タイ仏印国境画定委員)を歴任し、1941年(昭和16年)10月、陸軍少将に進級。翌月、第25軍参謀副長兼軍政部長に就任し太平洋戦争を迎えた。
マレー作戦シンガポールの戦いに参加。1942年(昭和17年)4月、ボルネオ守備軍参謀長となり、1944年(昭和19年)9月、同軍が第37軍と改称後も引き続き参謀長を務める。1945年(昭和20年)3月、陸軍中将に進み第2師団長に親補され、サイゴンに司令部を置き仏印の守備を担当し終戦を迎えた。1950年(昭和25年)6月に復員
戦後は日本金鵄連合会会長、参謀長を務めたボルネオ守備軍の独立歩兵第367大隊戦友会「ボルネオ会」会長を務めた。
1979年、肺ガンにより85年の生涯を閉じた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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