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オランダ王国 : ミニ英和和英辞書
オランダ王国[おらんだおうこく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

オランダ : [おらんだ]
  1. (pt:) (n) Holland 2. The Netherlands, (pt:) (n) Holland/The Netherlands
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
王国 : [おうこく]
 【名詞】 1. kingdom 2. monarchy 
: [くに]
 【名詞】 1. country 

オランダ王国 : ウィキペディア日本語版
オランダ王国[おらんだおうこく]

オランダ王国(オランダおうこく、〔コーニンクレイク・デル・ネーデルランデン〕、、)は、西ヨーロッパおよびカリブに領土を有する主権国家立憲君主国である。王国の4つの地域であるアルバオランダキュラソーシント・マールテンはそれぞれ()と呼ばれ、王国内のパートナーとして互いに対等な立場で王国を構成している〔"EXPLANATORY MEMORANDUM to the Charter for the Kingdom of the Netherlands", transmitted to the U.N. Secretary-General in compliance with the wishes expressed in General Assembly resolutions 222 (III) and 747 (VIII). New York, 30 March 1955(
* Ministerie van Buitenlandse Zaken , 41, Suriname en de Nederlandse Antillen in de Verenigde Naties III, Staatsdrukkerij-en uitgeversbedrijf/ ’s Gravenhage, 1956)〕。オランダは、カリブの3つの特別自治体を除いてヨーロッパに位置しており本土部分のみを指す場合は「ヨーロッパ・オランダ」と呼ばれる。
==歴史==

オランダ王国は1813年ナポレオン帝国の崩壊にその起源がある。この年、オランダは再び自由を得て、オラニエおよびナッサウ公ウィレムを君主としたネーデルラント公国が宣言された。南ネーデルラント(おおよそ現在のベルギーおよびルクセンブルク)との再統一は1814年に決定された。1815年3月、君主の称号がネーデルラント国王となり、王国は現在に至る。オランダ国王は、同時にドイツ連邦内の大公国でもあったネーデルラント王国の一地方の君主であるルクセンブルク大公でもあった。
1830年のベルギー独立革命で、ベルギーは王国から離脱し、オランダは1839年にロンドン条約で独立を承認した。この時点で、ルクセンブルクはネーデルラントと人的同君連合にある完全な独立国となった。この領土の損失をドイツ連邦に対して埋め合わせするため、オランダのリンブルフ地方はこれ以前にルクセンブルクがあった地位と同様にオランダおよびドイツ連邦の両方に属する公国とされた。この地位はドイツ連邦が終わる1867年に覆され、この時点でリンブルフは以前のように普通のオランダの州となったが、オランダ王は今日でもリンブルフ公の称号を有している。
1954年の行政改革の起源は1931年のウェストミンスター憲章および1941年の大西洋憲章(政府形態を選択する人民の権利、一般的安全保障のための仕組みの必要性について述べられている)にある(オランダは1942年1月1日に大西洋憲章に調印した)。変革は女王ウィルヘルミナの1942年12月7日のラジオ演説で提案された。この演説で、女王はロンドンのを代表し、戦争集結後にオランダとその植民地との間の関係を見直したいという願いを表明した。解放後、政府は海外領土が王国の統治に対等な立場で参加できるような調停に合意するための会議を招集したいとした。当初は、この演説にはプロパガンダ目的があった。オランダ政府はオランダ領東インド(現在のインドネシア)を念頭に置いており、植民地主義に対して批判的となっていたアメリカ合衆国の世論を鎮めたいと願っていた〔Peter Meel, ''Tussen autonomie en onafhankelijkheid. Nederlands-Surinaamse betrekkingen 1954-1961'' (Between Autonomy and Independence. Dutch-Surinamese Relations 1954-1961; Leiden: KITLV 1999).〕。
インドネシアの独立後、スリナムオランダ領アンティルの経済がオランダの経済と比較して取るに足らないため連邦構造は重すぎると考えられた。1954年の憲章では、スリナムとオランダ領アンティルはそれぞれオランダに全権公使を置くこととなった。スリナムやオランダ領アンティルに直接的に関係する王国全体に対して当てはまる事柄について、全権公使はこれについて議論がなされるオランダの閣議に参加する権利を有していた。スリナムおよびオランダ領アンティルの代表はスターテン・ヘネラールの第一および第二評議会の会合に参加することが出来た。海外領土のメンバーは適切な時はに加えることが出来た。憲章によれば、スリナムおよびオランダ領アンティルは彼らの基本法 (''Staatsregeling'') を改正することも許された。この2つの自治国が王国を一方的に離脱する権利は認められなかったが、協議によって解決すると憲章に明記された〔。
1954年のの宣言前、スリナム、オランダ領ニューギニア、オランダ領アンティル(以前の)はオランダの植民地であった。
スリナムは1954年から1975年まで王国内の構成国であったが、オランダ領アンティルは1954年から2010年まで構成国だった。スリナムは独立共和国となり、オランダ領アンティルは構成国であるアルバ(1986年から)、キュラソーおよびシント・マールテン(2010年から)、本土オランダの特別自治体であるボネール島サバ島シント・ユースタティウス島に分かれた。オランダ領ニューギニアは1962年までは王国の属領であったが自治国ではなく、憲章では言及されていない。
1955年、女王ユリアナおよび王配ベルンハルトはスリナムおよびオランダ領アンティルを訪問した。この訪問は大成功を収めた。女王夫妻は地元住民によって熱狂的に歓迎され、この旅行はオランダのマスコミよって広く報道された。その他いくつかの行幸が続いて行われた〔Gert Oostindie, ''De parels en de kroon. Het koningshuis en de koloniën'' (The Pearls and the Crown. The Royal House and the Colonies; Amsterdam: De Bezige Bij, 2006).〕。
1969年、キュラソーのアンティル島での非組織的なストライキによって深刻な騒乱や略奪が起こり、この間にウィレムスタットの歴史的な市内の一部が火事によって焼失した。秩序はオランダ海兵隊によって回復された。同年、スリナムでは深刻な政治的不安定状態となり、スリナム首相のJohan Pengelは教師のストライキを終わらせるため軍事支援を要請するとの脅しを行った。
1973年、労働党のの下、新しいオランダ内閣が発足した。政策方針で、内閣はスリナムおよびオランダ領アンティルの独立の期日をこれらの国の政府と共に決定したいと宣言した。アンティル政府は態度をはっきりさせず、スリナムの内閣も同様であった。スリナムの1973年の選挙によって国民党同盟 (''Nationale Partij Kombinatie'') が勝利し、が首相となった。新政府は1976年より前に独立するという声明を発表した。選挙期間中は独立については論点となっていなかったため、これは異例のことであった。デン・ハーグのデン・ウイル政府はスリナム独立の計画を実現するための協力者をパラマリボに得た。激しく感情的なスリナム野党の抵抗にもかかわらず、デン・ウイルとアロンは合意に達し、1975年11月25日、スリナムは独立した〔Gert Oostindie and Inge Klinkers, ''Knellende Koninkrijksbanden. Het Nederlandse dekolonisatiebeleid in de Caraïben, 1940-2000'', II, ''1954-1975'' (Stringent Kingdom Ties. The Dutch De-colonisation Policy in the Caribbean; Amsterdam: University Press 2001).〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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