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青山忠俊 : ミニ英和和英辞書
青山忠俊[あおやま ただとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あお]
 (n) 1. blue 2. green 3. green light
青山 : [せいざん, あおやま]
 【名詞】 1. (1) blue or green mountain 2. (2) grave 3. burial place 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [じゅん]
 【名詞】 1. excellence 2. genius

青山忠俊 : ウィキペディア日本語版
青山忠俊[あおやま ただとし]

青山 忠俊(あおやま ただとし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将徳川幕府譜代大名常陸江戸崎藩第2代藩主、武蔵岩槻藩主、上総大多喜藩主。青山家宗家2代。
== 経歴 ==
天正6年(1578年)、遠江国浜松(静岡県浜松市)に生まれる。小田原征伐で初陣を飾り、兄・忠次の早世により嫡子となる。父・忠成が徳川家康に仕えていたため、最初は家康に仕え、後に幕府2代将軍・徳川秀忠に仕える。慶長5年(1600年)より伯耆守を称す。慶長8年(1603年)に5,000石を与えられる。慶長12年(1607年)に土井利勝酒井忠世とともに徳川家光傅役をつとめる。慶長15年(1610年)、5,000石を加増され1万石を領する独立した大名となる。慶長18年(1613年)には父・忠成の死により、常陸江戸崎藩第2代藩主となった。元和元年(1615年)には本丸老職となる。元和6年(1620年)5万5,000石をもって岩槻城主となる。
しかし、忠俊はしばしば家光に諫言を繰り返したため、元和9年(1623年)10月19日には、老中を免職の上、上総大多喜藩(2万石)に減転封され、その後寛永2年(1625年)に除封され、下総国網戸・相模国溝郷・遠江国小林を経て、相模国今泉で蟄居する。秀忠の死後に再出仕の要請があったが断っている。
寛永20年(1643年)に死去、享年66。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「青山忠俊」の詳細全文を読む




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