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金親和行 : ミニ英和和英辞書
金親和行[きん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きん]
  1. (n,n-suf) (1) gold 2. (2) gold general (shogi) (abbr) 
親和 : [しんわ]
  1. (n,vs) friendship 2. fellowship
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
: [くだり, ぎょう]
 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse 

金親和行 ( リダイレクト:金親和憲 ) : ウィキペディア日本語版
金親和憲[かねちか かずのり]

金親 和憲(かねちか かずのり、1969年11月12日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身で北の湖部屋(入門当時は三保ヶ関部屋)所属の元大相撲力士。本名は山村 和行(やまむら かずゆき)、旧姓は金親。趣味は映画鑑賞。最高位は東十両2枚目(1995年7月場所)。血液型はAB型。2015年に暴行事件を起こし、逮捕・相撲協会から解雇された事に伴い、現在は、報道などでは本名の山村和行で紹介されることが多い(過去には、山本順一などで同様の事例がある)。
== 来歴 ==
中学時代はバスケットボール部に所属していた。中学1年生の頃に父は金親と5歳しか歳の離れていない女性と再婚したが、金親は義母となったその女性と喧嘩が絶えず関係が悪かったという。身体が大きかったため多くの相撲部屋からの勧誘があったが一度は入門を断り、横浜商大高校に進学した。しかし義母との不和もあって1ヵ月ほどで高校を中退し、引退したばかりの元横綱北の湖の内弟子として三保ヶ関部屋に入門して、1985年9月場所に初土俵を踏んだ。
幕下上位で伸び悩んだ時期もあったが、1992年3月場所に「月山(がっさん)」の四股名で十両に昇進した。しかし4勝11敗と負け越し、1場所で幕下に陥落した。1年半ほど幕下で低迷したが、1993年11月場所に本名の金親の四股名で再十両に復帰し十両に定着した。取り口は四つ相撲で柔軟な体を活かした土俵際の粘りを時折見せ、1995年7月場所には自己最高位の東十両2枚目まで番付を上げた。幕内力士との対戦があったが、5勝10敗と負け越し幕内に昇進することは出来なかった。1998年3月場所を最後に幕下に陥落、十両復帰を目標に幕下上位で長く取り続けていたが、2004年5月場所には三段目まで陥落した。同年7月場所は西三段目34枚目の地位で迎え、3勝4敗と負け越し、これを最後に現役を引退した。
当初は、名古屋のラーメン店で修行する予定だったが、2004年7月に9代宮城野(元小結廣川)の次女と結婚して娘婿になることが決まり、年寄・宮城野(11代)を襲名し宮城野部屋を継承することになった。襲名の条件として「十両と幕内通算30場所以上」という規約があるが、例外規定として部屋後継者と認定された場合には「十両と幕内通算20場所以上」でよいため、十両通算24場所の金親に初めてこの例外規定が適用された。しかし10代宮城野(元前頭13・竹葉山)がすぐに年寄名跡を工面することができず、年寄・熊ヶ谷(15代)を取得するまで引退届けを提出せずにいたため、2004年9月場所の番付まで四股名が記載された。宮城野継承により弟子となった光法龍皇、若竹葉らとは現役時代に対戦経験があり、このうち若竹葉とは現役最終場所で対戦している。また幕下時代の朝青龍にも勝ったことがある(1999年11月場所)。
2007年5月場所後、宮城野部屋の白鵬が第69代横綱への昇進を決める。それから同年5月28日に開かれた横綱審議委員会の席では、内舘牧子委員(脚本家)から「新聞などでは熊ヶ谷(当時)親方がこう語っているとか、たくさん書いてあります。横綱白鵬にとっては一体誰が師匠なんですか?」という質問が北の湖理事長(当時)に寄せられた。これに対し北の湖は「それは熊ヶ谷です。今まで熊ヶ谷がやってきたし、これからもやるべき」と即答し、「宮城野親方(当時)は事実上白鵬の師匠でない」という見解を示した。ただし、白鵬の大関昇進時(2006年3月場所後)及び横綱昇進時(2007年5月場所後)の昇進伝達式に、それぞれ同席したのは11代宮城野夫妻であり、15代熊ヶ谷の出席は認められなかった。その後の報道でも全て宮城野が師匠、熊ヶ谷は育ての親と扱われていた〔横綱・大関の師匠で理事・勝負審判でない者はNHK大相撲中継で解説を務める例が多いが、金親時代の宮城野部屋では金親に幕内経験がないこともあって、元竹葉山の熊ヶ谷が向正面解説を務めていた(当時NHKアナウンサーの呼び方は「白鵬の育ての親である熊ヶ谷親方」と紹介していた)〕。
2007年5月掲載の週刊現代で、11代宮城野が八百長を告白した録音テープの存在を報じられたことを巡る訴訟にあたり、2010年10月21日に最高裁判所日本相撲協会の勝訴が確定した直後、協会はこの問題に関する扱いを協議することを決定した〔宮城野親方の処分検討/大相撲 サンケイスポーツ 2010年12月17日〕〔15日臨時理事会で宮城野親方の処分検討 スポーツ報知 2010年12月17日〕〔相撲協会:宮城野親方処分へ…「八百長告白」報道 毎日新聞 2010年12月17日〕。同年12月24日の理事会で本人に弁明の場を設けた上で、「15代熊ヶ谷と年寄名跡を交換」し部屋の師匠の座から追放する勧告を行うとともに、個人の処分として「主任」から「平年寄」に降格(停年まで昇格停止)させた〔白鵬所属の宮城野部屋、師匠交代を勧告 スポーツ報知 2010年12月24日〕。処分を決めた放駒理事長(元大関・魁傑)(当時)は、記者会見で指導者としての再出発を促すコメントを述べた。こうして16代熊ヶ谷を襲名し、宮城野部屋付きの親方として引き続き、後進の指導に当たることになった。
日本相撲協会は2014年からの公益財団法人への移行に伴い、年寄名跡を協会側で一括管理するために、2013年12月20日までに年寄に対して協会へ年寄名跡証書を提出することを求めていたものの、16代熊ケ谷は9代宮城野の遺族との話し合いが平行線をたどり、当初の締め切りだった2013年12月20日に提出できなかった。延期された期限が翌2014年1月11日に迫っていたが、複数の関係者によれば2004年に結婚した遺族の次女と離婚することと、それに伴う数千万円の解決金を支払うことで受け渡しに合意したという。証書は9日の午前に提出した〔熊ケ谷親方、年寄名跡証書提出 YAHOO!JAPANニュース スポーツ報知 1月10日(金)7時4分配信より 〕。
2015年7月中旬にマネージャーの男性へ暴行を加えて負傷させた疑いが浮上、疑いが強まったとして同年9月2日に警視庁に逮捕された〔熊ヶ谷親方を逮捕、知人に傷害容疑…白鵬ら指導 YOMIURI ONLINE 2015年9月2日(2015年9月2日閲覧)〕。その後は同月18日に東京地方検察庁により起訴され〔熊ケ谷親方を傷害罪で起訴 相撲協会「重く受け止める」 朝日新聞 2015年9月18日(2015年10月1日閲覧)〕、同年10月1日には日本相撲協会から解雇処分を受けた〔熊ケ谷親方を解雇=相撲協会 時事ドットコム 2015年10月1日(2015年10月1日閲覧)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「金親和憲」の詳細全文を読む




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