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郷田真隆 : ミニ英和和英辞書
郷田真隆[ごうだ まさたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [まこと, しん, ま]
  1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness

郷田真隆 : ウィキペディア日本語版
郷田真隆[ごうだ まさたか]

郷田 真隆(ごうだ まさたか、1971年3月17日 - )は、将棋棋士棋士番号は195。東京都練馬区出身。(故)大友昇九段門下。いわゆる「羽生世代」の一人。駿台学園中学校・高等学校卒業〔本校OB郷田九段が棋王奪取 - 駿台学園中学校・高等学校 2012年3月27日〕。
== 棋歴 ==
3歳の頃に、将棋好きな父から将棋を教わる〔平成10年度版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)〕。
小学校6年時代の1982年12月、奨励会に6級で入会するも、当初は成績不振で、一時は7級に降級した。しかしその後は順調に昇級を重ね、入会から2年半で初段昇段。1985年12月に二段に昇段するが、翌年に高校に入学すると「あまり将棋の勉強をしなかった」(本人談)ということで一時成績が低迷する。本人によればこの時期に初恋を経験するなど、プライベートでいろいろ出来事があったという〔1985年の羽生世代 - 将棋ペンクラブログ・2014年7月30日〕。三段リーグに入ったのは1988年。以来、次点(3位)、5位、5位と好成績を3期続け、ついに4期目に14勝4敗で2位の成績を収めて、19歳でプロデビュー(四段昇段)を果たす(1990年4月1日)。同学年の羽生善治が、すでに初の竜王位に就いていた頃のことであった。
プロ3年目の1992年度に、タイトルに3度挑戦する活躍を見せる。相手は、いずれも谷川浩司であった(棋聖戦前期・後期、王位戦)。うち王位戦七番勝負(第33期)で谷川を4勝2敗で破り、初のタイトル獲得(1992年9月9日)。四段でのタイトル獲得は史上初である(従来の記録は、高橋道雄の五段での王位獲得)。なお、その後昇段規定が改正され、2012年現在の規定 では、四段のままタイトルを獲得することはなくなっている(タイトル挑戦を決めた時点で四段から五段に昇段するため)。また、プロデビューから2年5か月での初タイトル奪取は、屋敷伸之に次ぎ歴代2位である。これらの活躍により、本年度の将棋大賞の殊勲賞と新人賞を同時受賞。
1993-1995年度の王位戦は、羽生善治との3年連続同一カードとなったが、いずれも防衛・奪取はならなかった。
1993-1995年、日本シリーズで3連覇を達成。なお、この棋戦は、タイトル獲得者や順位戦の上位者などの一握りの棋士だけが参加できる棋戦であるが、王位失冠後の1994-1996年も、前回優勝者(第1シード)として出場資格が与えられた。
1994年度は52勝19敗の成績で、将棋大賞の最多勝利賞と最多対局賞を初受賞。
1997年度の早指し将棋選手権戦で、決勝で羽生を破り優勝。長考派は早指しでも強いということを、前記の日本シリーズに続き実証した。同年度、第23期棋王戦で羽生に挑戦。1勝3敗で敗れる。この年度は、将棋大賞の記録4部門のうちの3つ(勝率1位賞・最多対局賞・最多勝利賞 = 48勝15敗、勝率0.762)と敢闘賞を受賞する。
1998年棋聖戦五番勝負で屋敷伸之を破り、棋聖位を奪取。翌年、谷川浩司に奪われる。
1999年4月、A級八段となる。しかし、初のA級順位戦(第58期 = 1999年度)では3勝6敗と8位の島朗八段と同成績ながら順位差で残留できず、1期でA級から陥落する。翌期のB級1組では次点で昇級を逃し〔このB級1組順位戦(第59期)では、郷田は終盤に2連敗、藤井猛竜王(当時)が2連勝したため、B級1組に昇級したばかりの藤井が大逆転で初のA級入りを果たした。〕、さらに次のB級1組でA級に復帰。ところが、2度目のA級(第61期=2002年度)も、4勝5敗と健闘するも順位差で9位(A級棋士10人中5名が4勝5敗となる混戦)となり1期で降級し、翌期にB級1組で次点、その次でA級昇級(復帰)という、3年一組の、まったく同じパターンとなった。
第49回(1999年度)NHK杯戦で決勝進出するが、鈴木大介に敗れて準優勝。
2001年8月2日、棋聖戦五番勝負最終局で羽生を破り、棋聖に復位〔第72期棋聖戦挑戦者決定トーナメント/五番勝負(日本将棋連盟) 〕。タイトル通算3期となり九段昇段した。棋聖位は、翌年、佐藤康光に奪われる〔第73期棋聖戦挑戦者決定トーナメント/五番勝負(日本将棋連盟) 〕。
3度目のA級順位戦(第64期 = 2005年度)で5勝4敗と勝ち越し、ようやくA級初残留をする〔第64期名人戦・順位戦 七番勝負/A級(日本将棋連盟) 〕。
2006年度A級順位戦で圧倒的な強さを見せ、8回戦(2007年2月1日)で勝利した時点で、最終9回戦を待たずして初の名人挑戦を決めた。対局終了の後、その日の朝に父が死去していたことを知らされる。「大事な一戦の最中に余計な心配をかけたくない」という家族の意向であった。森内俊之との第65期(2007年度)名人戦七番勝負は、3勝4敗で惜敗した〔第65期名人戦・順位戦 七番勝負/A級(日本将棋連盟) 〕。
同年度(2007年度)、第1回ネット将棋・最強戦において、決勝で丸山忠久九段を破り、初代王者に輝く〔第1回大和証券杯ネット将棋・最強戦(日本将棋連盟) 〕。後述にあるように、将棋の研究などにパソコンを利用することに否定的な郷田が、第1回の優勝者となったことは話題となった。
2008年度のA級順位戦を制し、2009年、自身2度目となる名人戦を羽生と戦う。2勝2敗で迎えた第5局は初の名人戦開催に沸く秋田市で行われたが、郷田は単独の旅程で宮城県に寄り、師匠の大友の墓参りをしてから秋田に向かった。この一局に勝ち、3勝2敗で名人獲得にあと1勝とした。しかし、残り2局を落とし、惜しくも敗退した〔第67期名人戦・順位戦 七番勝負/A級(日本将棋連盟) 〕。
2011年度、第37期棋王戦でトーナメントを勝ち上がり、本戦優勝者として挑戦者決定二番勝負に進出する。二番勝負の相手は本戦決勝でも戦った広瀬章人であった。郷田は第一局を落としたものの、第二局に勝利し、14年ぶりの棋王挑戦を決める。そして久保利明との五番勝負を3勝1敗で制し、初の棋王獲得〔第37期棋王戦挑戦者決定トーナメント/五番勝負(日本将棋連盟) 〕。2001年度以来10年ぶりにタイトル保持者となる。しかし翌年に渡辺明に敗れ、再び無冠に転落。
2013年度はNHK杯戦を勝ち上がり、決勝では丸山忠久を下して初優勝を飾った〔郷田真隆九段、NHK杯初優勝! 矢内女流五段は司会を卒業 - NHKテキストView・2014年5月2日〕。なおタイトル戦の挑戦者決定戦にも3度登場するという活躍も見せたが、こちらは全て敗退している〔『将棋世界』2014年6月号 p.146 郷田によるNHK杯戦決勝の自戦記。 - なお挑戦者決定戦での3度もの敗退とNHK杯戦の優勝について、郷田は''「たまにはいいこともないとね(笑)。」''と著している。〕。
2014年度、第64期王将戦の挑戦者決定リーグ戦で1位タイとなり、羽生との挑戦者決定戦を行い勝利、渡辺明王将への挑戦権を得る。七番勝負では第2局で頓死するなど2連敗スタートだったが、その後2連勝して追いつき、最終的に4勝3敗で制し初の王将位を獲得した。44歳での初王将は最年長記録である〔王将戦中継ブログ(日本将棋連盟) 〕。
2015年度、第1期叡王戦において本戦Aブロックを勝ち上がり決勝三番勝負に進出したが、山崎隆之八段に0-2で破れ準優勝となった。第65期王将戦では挑戦者の羽生を4勝2敗で退けて自身初のタイトル防衛となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「郷田真隆」の詳細全文を読む




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