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高橋道雄 : ミニ英和和英辞書
高橋道雄[たかはし みちお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

高橋道雄 : ウィキペディア日本語版
高橋道雄[たかはし みちお]

高橋 道雄(たかはし みちお、1960年4月23日 - )は、将棋棋士佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は142。東京都出身。
1980年度(昭和55年度)にプロ入りした、いわゆる「55年組」の一人で、タイトルを5期獲得。五段でのタイトル獲得(王位)は当時までの最低段記録。十段戦竜王戦に移行したときの、最後の十段在位者。
== 棋歴 ==
将棋の動かし方を覚えたのは12歳の頃であり、プロとなった者としては極めて遅かった〔2011年2月6日放送のNHK将棋講座』にて、本人談。〕。1975年5月に6級で奨励会入会。初段昇段後に苦しみ、初段、二段、三段の時代がそれぞれ1年間ほどあったが、1980年6月4日に四段昇段してプロデビュー。
初参加の順位戦である第40期(1981年度)C級2組順位戦で9勝1敗の成績を収め、C級1組に昇級(五段昇段)。いわゆる‘1期抜け’である。
1982年度に行われた第24期(1983年度)王位戦の予選を4連勝で駆け抜け、リーグ入り。リーグでは田中寅彦森安秀光大山康晴谷川浩司青野照市といった錚々たる面々を相手に5戦全勝。挑戦者決定戦でも桐山清澄に勝利してタイトル戦初登場。高橋の段位はまだ五段のままであった。七番勝負では内藤國雄王位を4-2のスコアで破り、奪取(1983年9月26日)。五段以下でのタイトル獲得は史上初で一躍注目された。以後の低段位若手棋士のタイトル奪取の動きの先鞭をつけたものである。なお、最低段タイトルの記録は、9年後に郷田真隆(四段)によって破られるが、奇しくも同じく王位のタイトルである。
1984年度、王位を加藤一二三に奪われるが、その翌年(1985年)すぐに奪還する。
1986年度の王位戦で高橋への挑戦者として名乗りを挙げたのは、兄弟子の米長邦雄十段であったが、高橋は4 - 0のストレートであっさりと防衛に成功。さらには、同年度の第12期棋王戦で谷川浩司棋王から奪取して初めて二冠となり、将棋大賞最優秀棋士賞を受賞。なお、この年度では、5年ぶりに順位戦昇級もしている(C級1組にて9勝1敗の成績でB級2組昇級)。
1987年、谷川が高橋から王位を奪い返した後、10月21日塚田泰明中原誠が持っていた2冠から1冠(王座)を奪ったことにより、7つのタイトルを7人の棋士が1つずつ持ち合うという、極めて珍しい状態が生まれていた。
名人=中原誠 十段=福崎文吾
棋聖=桐山清澄 王座=塚田泰明(※) 王位=谷川浩司 棋王=高橋道雄(※) 王将=中村修(※)
※印の3名は「55年組」。ほかの4名は1979年度以前のプロ入り。
しかし、同年11月25日、高橋が、福崎を破って再び二冠(十段・棋王)となったことにより、「完全戦国時代」は僅か1ヶ月ほどで終わりを告げた。十段戦はこの年度で発展解消され竜王戦に移行したため、高橋の翌年の十段防衛戦はなかった。代替として第1期の竜王戦では準決勝からの登場となったものの、その準決勝で米長邦雄に敗れた。
第46期(1987年度)B級2組順位戦で10戦全勝の成績を収め、B級1組に昇級。
1988年度、タイトルホルダーとして日本シリーズに出場し、優勝。
同年度、第47期B級1組順位戦で8勝3敗・2位の成績を収め、3年連続昇級し、1989年4月1日付けでA級八段となる。以降7年連続でA級在籍。
1992年に中原に挑戦した第50期名人戦七番勝負で、第4局まで3勝1敗でリード。しかし、その後3連敗し名人位奪取はならなかった。高橋の3勝は、全て矢倉戦であり、。高橋が負けた4局は、相掛かり(中原先手)と横歩取り(高橋先手)が各2局。
第7期(1994年度)および第9期(1996年度)の竜王戦1組で優勝。
1995年度、第21期棋王戦で六冠王・羽生善治に挑戦。その頃、羽生は並行して七冠独占をかけて王将戦七番勝負を谷川と戦っていた。棋王戦五番勝負第1局(1996年2月10日)で高橋が負けた後、王将戦第4局(1996年2月13日 - 14日)で羽生が勝ち、4 - 0で七冠独占に成功。よって棋王戦第2局(2月23日)以降の高橋の対局相手は七冠王ということになった。結果は、第3局(3月8日)まで高橋の3連敗で決着。羽生の1995年度タイトル戦完全制覇を許した。
2001年2002年達人戦で連続準優勝。
2007年、第58期王将戦リーグ入り。
2008年度は先手では矢倉、後手では横歩取り8五飛を原動力として24勝15敗(勝率0.615、B級1組以上では羽生善治久保利明に次ぐ高勝率)と好調で、第67期順位戦B級1組では8勝4敗の成績で井上慶太と共に6期ぶりでA級へ復帰した。A級昇級を決めた2人がともに40歳以上であるのは、第43期の有吉道夫二上達也以来。翌第68期(2009年度)A級順位戦では2位で勝ち越し、15年ぶりのA級残留に成功した。第69期(2010年度)A級順位戦では3位に、第70期A級順位戦では2勝7敗と大きく負け越したものの、久保利明丸山忠久と同率となり、前年度順位上位のため残留となり、史上初の2勝7敗での残留となった。
しかし、以降は順位戦における成績不振が続き、第71期順位戦では深浦康市及び橋本崇載〔第71期の橋本崇載及び第72期の鈴木大介は、各期順位戦において高橋と同時に降級した。〕に勝ったのみで10人中9位に終わりB級1組へ降級。
第72期順位戦でも鈴木大介〔に勝ったのみで13人中最下位でB級2組へ降級〔順位戦A級に在位していた棋士がB級1組に降級し、翌期も続けてB級2組に降級したケースは、第69期から第70期に亘る藤井猛以来、順位戦史上10人目。〕。
更に27期ぶりにB級2組で闘った第73期順位戦でも窪田義行及び島朗に勝ったのみで25人中23位で降級点を喫した〔順位戦A級に在位していた棋士がB級1組に降級し、翌期も続けてB級2組に降級し、更に翌々期に降級点を喫したケースは、順位戦史上初。〕。
第74期順位戦でも畠山成幸及び中村修に勝ったのみで25人中最下位で降級点を喫し、B級2組における降級点が累積2個になりC級1組への降級が決定〔順位戦B級1組からB級2組に降級した棋士が、降級直後の2期で連続して降級点を喫し、C級1組に降級したケースは、第59期(2000年度)から第61期に亘る小林健二以来、順位戦史上7人目。〕。
2015年度は第24期銀河戦における予選で土佐浩司に負け、第66回NHK杯でも予選・1回戦で渡辺大夢に負け、プロ入り以来続いていたテレビ棋戦への連続出場がストップした。
一方、第28期竜王戦では2組昇級者決定戦決勝で松尾歩 に勝ち1組に昇級を果たし、翌第29期も、ランキング戦で糸谷哲郎に勝ち1組残留を決めるなど、棋戦によって好不調に差が出る一年となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高橋道雄」の詳細全文を読む




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