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近松秋江 : ミニ英和和英辞書
近松秋江[ちかまつ しゅうこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [あき]
  1. (n-adv) autumn 2. fall 
: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 

近松秋江 : ウィキペディア日本語版
近松秋江[ちかまつ しゅうこう]

近松秋江(ちかまつ しゅうこう、1876年明治9年)5月4日 - 1944年昭和19年)4月23日)は、日本小説家評論家岡山県生まれ。本名は徳田丑太郎。17歳のとき、浩司と改名
== 経歴 ==
1876年(明治9年)岡山県に生まれる。少年時代は『雪中梅』(末広鉄腸)や『経国美談』(矢野龍渓)などの政治小説を好んだ。家は代々農業を営んでおり、1892年(明治25年)、岡山県尋常中学校(後の岡山一中、現在の岡山県立岡山朝日高等学校)に入学するが翌年退学、1894年(明治27年)、父に書置一通を残し上京。慶應義塾に入るも父の急逝により2ヶ月で退学し、帰郷、一年余り家業に就く。その間、村井弦斎・尾崎紅葉・泉鏡花等の軟文学に親しんだ。1896年(明治29年)、小説家を志し、9月再度上京し、国民英学会に英語を、漢学私塾二松學舍(現二松學舍大学)にて漢学を学んだ。1898年(明治31年)、東京専門学校(後の早稲田大学文学部史学科に入学。卒業後、坪内逍遥の紹介で、博文館に入社するも5ヶ月で退社。その後、東京専門学校出版部に入る。1904年(明治37年)、中央公論の記者となるが、ここも7ヶ月で退社している。文壇デビューは、在学中の1901年(明治34年)、読売新聞紙上の文学合評「月曜文学」第一回、「鏡花の註文帳を評す」である。最初の小説は『食後』(1907年)。作家としての地位を確立したのは、『別れたる妻に送る手紙』や『黒髪』を代表とする、いわゆる情痴文学である。1916年(大正5年)、赤木桁平から「遊蕩文学」の作家の一人として攻撃された。晩年は両目とも失明した。
筆名の近松秋江は、近松門左衛門を慕うことから近松、また秋の絵を好むことから秋江としたといわれる。また、はじめは徳田秋江を使用していたが、徳田秋声の弟子だと思われることがあったため改名した。
東京専門学校時代に出会った正宗白鳥との交友は有名。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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