翻訳と辞書
Words near each other
・ 蘇悉地羯羅経
・ 蘇慧倫
・ 蘇我
・ 蘇我IC
・ 蘇我インターチェンジ
・ 蘇我中学校
・ 蘇我倉山田石川麻呂
・ 蘇我倉麻呂
・ 蘇我入鹿
・ 蘇我副都心
蘇我善徳
・ 蘇我堅塩媛
・ 蘇我娼子
・ 蘇我媼子
・ 蘇我安麻呂
・ 蘇我小姉君
・ 蘇我屠自古
・ 蘇我常陸娘
・ 蘇我日向
・ 蘇我果安


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

蘇我善徳 : ミニ英和和英辞書
蘇我善徳[そが の ぜんとこ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [われ, が]
 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego 
: [ぜん]
 【名詞】 1. good 2. goodness 3. right 4. virtue 
善徳 : [ぜんとく]
 (n) virtues

蘇我善徳 : ウィキペディア日本語版
蘇我善徳[そが の ぜんとこ]
蘇我 善徳(そが の ぜんとこ、生没年不詳)は、飛鳥時代豪族蘇我馬子長男。子に、志慈(御炊朝臣の祖)〔中田憲信『皇胤志』〕、果安〔鈴木真年『史略名称訓義』(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 による)〕がいたとする文献がある。飛鳥寺(法興寺)の初代寺司(てらのつかさ、司長)。
日本書紀』巻第22には「推古四年冬十一月 法興寺造竟 則以大臣男善徳臣拝寺司 是日恵慈 恵聡二僧 始住於法興寺(冬十一月、法興寺 造り竟(おは)りぬ。則(すなは)ち大臣の男 善徳臣を以て寺司に拝す。是の日に、恵慈恵聡、二の僧、始めて法興寺に住り。)」とある。
『日本書紀』巻第22,推古天皇18年(610年)の記事に現れる蘇我蝦夷の年齢は、『扶桑略記』の記述によると25歳となり、推古天皇4年(596年)における蝦夷の年齢は11歳となることから、善徳が蝦夷の兄と推定されている〔門脇禎二 人物叢書『蘇我蝦夷・入鹿』吉川弘文館、1977年〕。
== 異説 ==
学術論文ではないが、聖徳太子蘇我入鹿=蘇我善徳、とみて聖徳太子・蘇我入鹿と同一人物とする意見がある〔高野勉『聖徳太子暗殺論 農耕民族と騎馬民族の相克』光風社出版、1985年〕〔関裕二『聖徳太子は蘇我入鹿である』ベストセラーズ、1999年〕。
また蘇我馬子自身が聖徳太子という著書もある

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「蘇我善徳」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.