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茶屋 四郎次郎(ちゃや しろうじろう、ちゃや しろじろう)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての公儀呉服師を世襲した京都の豪商。当主は代々「茶屋四郎次郎」を襲名する習わしであった。 == 概要 == 正式な名字は中島氏。信濃守護小笠原長時の家臣であった中島明延が武士を廃業し、大永年間(1521年~1527年)〔足立、254p。小和田哲男は天文(1532~1555)末年頃としている。外部リンク「茶屋明延」コトバンク。〕に京に上って呉服商を始めたのがはじまりとされる。茶屋の屋号は将軍足利義輝がしばしば明延の屋敷に茶を飲みに立ち寄ったことに由来する。茶屋家は屋敷を新町通蛸薬師下る(現在の京都市中京区)に設け、160年にわたって本拠とした。 初代清延が徳川家康と接近し、徳川家の呉服御用を一手に引き受けるようになった。三代清次は家康の側近や代官の役割も務め、朱印船貿易で巨万の富を築いた。また角倉了以の角倉家、後藤四郎兵衛の後藤四郎兵衛家とともに京都町人頭を世襲し、「京の三長者」と言われた。しかし鎖国後は朱印船貿易特権を失い、以後は呉服師・生糸販売を専業とするようになる。10代延国(延因)時代の1800年(寛政12年)には納入価格をめぐって呉服御用差し止めを受け、1807年(文化7年)に禁を解かれたものの以降はふるわず、明治維新後間もなく廃業した〔高柳光壽・竹内理三編「日本史辞典」第二版角川書店〕。江戸時代初期の豪商に多い「特権商人」の典型とされる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「茶屋四郎次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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