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結城是後 : ミニ英和和英辞書
結城是後[のち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [これ]
 (int,n) (uk) this
: [のち]
  1. (n,adj-no) afterwards 2. since then 3. in the future 

結城是後 ( リダイレクト:結城弥平次 ) : ウィキペディア日本語版
結城弥平次[ゆうき やへいじ]

結城 弥平次(ゆうき やへいじ)は、安土桃山時代から江戸時代初期のキリシタン武士小西行長の家臣で、肥後愛藤寺城城代
== 生涯 ==
河内出身。叔父に結城忠正がいる。叔父の影響でキリシタンに改宗した後は、京都南蛮寺建設にも関わった。天正16年(1588年に小西行長が肥後国宇土城へ入城した時、禄3500石を得て家老となり、益城郡矢部の愛藤寺城代を太田市兵衛と共に務めた。与力として土橋掃部(500石)、島澤市右衛門(300石)、平地源右衛門(300石)、中小路三右衛門(300石)、後藤三五兵衛門(300石)、田邊平右衛門(300石)、加賀山次郎作(300石)、岡兵右衛門(300石)、横田勘左衛門(300石)、天木庄太夫(300石)、小野田弥右衛門(300石)、吉田木工右衛門(300石)、速水七左衛門(300石)の13人が付属された。愛藤寺城城代となると同時にキリスト教に入信。城内に設けた邸宅に伝道所を設け、布教に努めた。信者数は最終的に4000人に達し宣教師も招かれたという。
文禄2年(1593年)5月の使来日の際には世話役を任される。また、行長の信頼が厚かったため、朝鮮出兵の際はその留守を預かって肥後南部の統治に当たった。
慶長5年(1600年関ヶ原の戦い後は加藤清正に仕えるが、棄教を拒否したため家中より追放される。その後は有馬晴信に知行3000石で召し抱えられ、金山城(結城城)主となるが、有馬晴信の死後の慶長18年(1613年)、転宗を拒否したために主君・有馬直純によって封禄没収・国外追放を命じられた。
長崎へ追放された後の消息は不明だが、寛永5年(1628年)に末次平蔵の台湾派遣船に浜田弥兵衛とともに乗船していたという説もある〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「結城弥平次」の詳細全文を読む




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