翻訳と辞書
Words near each other
・ 第二関門橋
・ 第二阪和国道
・ 第二阪和道路
・ 第二阪奈
・ 第二阪奈有料道路
・ 第二阪奈道路
・ 第二阪神国道
・ 第二阪神線
・ 第二阪鶴丸
・ 第二院 (オランダ)
第二院クラブ
・ 第二階述語論理
・ 第二雄琴トンネル
・ 第二電気館 (曖昧さ回避)
・ 第二電電
・ 第二霧社事件
・ 第二露光
・ 第二青函丸
・ 第二革命
・ 第二音戸大橋


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

第二院クラブ : ミニ英和和英辞書
第二院クラブ[だいにいんくらぶ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
第二 : [だいに]
 (n) second
: [に]
  1. (num) two 
二院 : [にいん]
 【名詞】 1. the two houses of legislature 
ラブ : [らぶ]
 【名詞】 1. (abbr) lab 2. laboratory 3. love 4. (n) (abbr) lab/laboratory/love

第二院クラブ : ウィキペディア日本語版
第二院クラブ[だいにいんくらぶ]
第二院クラブ(だいにいんクラブ)は、日本政党。現在、国会に所属議員はいない。「第二院」とは参議院を指す。第一院(衆議院)選挙に候補を立てたことはない。略称は二院クラブ
総務省政治団体名簿〔原則として平成25年12月31日現在までにとりまとめられたもの。〕によると、現在の代表者は辺見廣明。会計責任者は原秀介。主たる事務所は東京都大田区北千束2-32-11におかれている。
== 沿革 ==
1953年昭和28年)、参議院会派として、第二院クラブの名が初めて登場。
直接には、1962年参議院同志会緑風会より改称)の7名と会派「無所属クラブ」(1953年結成、市川房枝など)の4名が合同し、第二院クラブと改称したのが現在に繋がっている。従来、同志会は主に保守系の非政党議員(無所属ではないが、政党に属さないという意味で)が、無所属クラブは主にそれ以外の無所属議員が属していた。しかし、無所属クラブに所属していた創価学会系無所属議員が、「公明会(後の公明党)」として独自の会派を結成したため、院内交渉団体資格(10人以上)を維持するため、無所属クラブと同志会が合同したのである。
1964年、同志会から自由民主党への移籍者があり、院内交渉団体資格を失った。そのため、会派の合同を取り止め、旧同志会は再び緑風会に戻ったが、旧無所属クラブの議員はそのまま二院クラブのままでいることになった。また、旧無所属クラブ所属で、任期中に行方不明になっていた辻政信は、どちらの会派にも入れず、便宜上各派に属しない議員(純無所属)とした。
緑風会は1965年解散したが、その後も二院クラブはタレント政治家など、保守色の強い緑風会とは議員の構成を変えながらも、無所属議員の受け皿として存続した。この間、二院クラブとして選挙に独自の候補を立ててはいない。
1983年昭和58年)、鈴木善幸内閣により、参議院全国区制度が廃止され、新たに比例代表制が導入された。これまでの全国区では、無所属の議員が個人で立候補できたのが、比例区では政党(制度上は「確認団体」)の作る名簿に登載されなければ選挙に出られない事態に陥った。そのため、無所属の参議院議員たちが集まり、参議院議員比例選挙に立候補するため、青島幸男を中心に二院クラブを政党化し、確認団体として選挙管理委員会に届け出た。このときの基本方針は、「政党の支配下にその存在意義を失った参議院を良識の府として再建する」、「憲法を暮らしの中に定着させる」、「民主主義を政治に定着させる」というものである。
当初は無所属、ミニ政党で大同団結して統一候補を立てる予定だった。しかし比例区は厳正拘束名簿式であるため名簿順位や候補者をめぐって内紛が起こり、二院クラブの他、八代英太らの福祉党中山千夏矢崎泰久らの無党派市民連合と三分裂した。その結果、第13回参議院議員通常選挙では二院クラブ1、福祉党1、無党派市民連合0議席に終わり、しかも八代は翌年、党を捨てて自民党に入党した。このとき、第二院クラブの名簿1位で当選したのは野坂昭如である〔野坂は同年12月の第37回衆議院議員総選挙に出馬するため辞職。〕。
その後、二院クラブは比例区では青島、山田俊昭(弁護士)、コロムビア・トップいずみたくら、おおむね1議席を維持(コロムビア・トップ、いずみは繰り上げ当選)。会派としては、引き続き選挙区当選の無所属議員などの受け皿としても機能し、喜屋武真栄西川きよしなどが所属していた。沖縄社会大衆党島袋宗康は、社大党委員長と二院クラブ代表を兼ねていたことがある。
しかし、1995年平成7年)、第17回参議院議員通常選挙佐藤道夫が当選したのを最後に、当選者は出ていない(同選挙で東京都選挙区無所属新人見城美枝子を支援したが落選)。佐藤は二院クラブ代表となったが、2001年第19回参議院議員通常選挙直前に民主党に移籍したため、既に引退していた青島幸男が代表に復帰した。しかし、当選には遠く及ばなかった。また、得票率は2%に満たず、政党要件も失った。その後も政治団体として存続しており、現在の代表は辺見廣明(青島の元秘書)が務めている。近年は選挙には候補者を擁立しておらず目立った活動はみられない。また党のホームページも2009年5月に北朝鮮の核実験に関するコラムが掲載されたのを最後に更新が止まっている〔
隣国の核兵器実験には憲法9条にもとづく外交で対応を2009/5/26 2011年6月21日閲覧。〕。ただし総務省の政治団体名簿には、2013年(平成25年度)12月31日までに政治団体として届け出がなされているとの記載が確認できる〔総務省 政治団体名簿 その他の政治団体 平成25年12月31日における総務大臣届出の政治団体であり、内容については、平成26年3月31日までに官報告示されたものを掲載している。2011年6月21日閲覧〕。
国政では参院にしか公認・推薦候補を立てたことはないが、地方選挙では知事選で土屋義彦などを推薦したこともある。革新系議員が多数所属したが、「政党の支配下にその存在意義を失った参議院を良識の府として再建する」という基本方針から党議拘束は全くかけなかった。また、公式ホームページによれば地方自治体の選挙での「候補者公認・推薦・支持を」行わないとしている〔第二院クラブの歩み 〕が、地方選挙においては相乗りオール与党に迎合することが多かったという意見もある。
政党交付金に関しては当初は登録しておいて受け取りを拒否し、自党が受け取るはずの助成金を国庫に戻させていたが、佐藤道夫の代表就任以降、財政難を理由に受け取るようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第二院クラブ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.