翻訳と辞書
Words near each other
・ 第一三共
・ 第一三共エスファ
・ 第一三共ヘルスケア
・ 第一三共ヘルスケアの製品
・ 第一三共株式会社
・ 第一三号型掃海艇
・ 第一三号型駆潜艇
・ 第一三方面軍
・ 第一三方面軍 (日本軍)
・ 第一三海軍航空隊
第一三航空隊
・ 第一上野トンネル
・ 第一不動産
・ 第一世代
・ 第一世代抗ヒスタミン薬
・ 第一世代携帯電話
・ 第一世界
・ 第一中央汽船
・ 第一中学校
・ 第一九号型掃海艇


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

第一三航空隊 : ミニ英和和英辞書
第一三航空隊[だいいち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
第一 : [だいいち]
  1. (adv,n) first 2. foremost 3. # 1 
: [いち]
  1. (num) one 
: [み]
  1. (num) three 
航空 : [こうくう]
 【名詞】 1. aviation 2. flying 
航空隊 : [こうくうたい]
 (n) flying corps
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
: [たい]
 【名詞】 1. party 2. company 3. body (of troops) 4. corps

第一三航空隊 ( リダイレクト:第十三航空隊 ) : ウィキペディア日本語版
第十三航空隊[だいじゅうさんこうくうたい]

第十三航空隊〔辞令公報ほか「海軍省が発行した公文書」では、海軍航空隊番号付与標準制定(1942年11月1日)前の2桁番号名航空隊は航空隊名に「海軍」の文字が入らず漢数字の「十」を使用する。海軍航空隊番号付与標準制定後の2桁番号名航空隊は他の3桁番号名航空隊と同様、航空隊名に「海軍」の文字が入り、漢数字の「百」や「十」は使用しない。〕(だいじゅうさんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。爆撃機攻撃機戦闘機からなる特設の戦爆連合部隊として編制され、日中戦争序盤に華中方面で戦闘・爆撃に従事したのちに陸上攻撃機を主体とした爆撃部隊に改編された。
隊名が類似している第一三海軍航空隊とは関連が無い。本航空隊の呼称を「第十三海軍航空隊」、または「第一三航空隊」などとしている文献があるが、これらの呼称は誤りである。
==沿革==
昭和12年7月7日、盧溝橋事件が勃発し、日中の武力衝突(日中戦争)が始まるやいなや、海軍は事件からわずか4日後の11日に6個航空隊の大陸派遣を決定した。戦略爆撃を担当する第一連合航空隊は木更津海軍航空隊鹿屋海軍航空隊からなり、制空を担当する2個航空隊と偵察を担当する2個航空隊は「第二連合航空隊」(以下「二連空」とする)を編制した。第十三航空隊(以下「十三空」とする)は二連空の攻撃・戦闘部隊として大村海軍航空隊から30機を選抜して編制し、華中方面に投入された。制空が完了し、敵勢力が内陸部に移った13年2月からは陸上攻撃機を主力とする遠距離爆撃機隊に変貌した。「戦史叢書」などの記述では、コンビを組んだ第十二航空隊(以下「十二空」とする)と合わせて「二連空」名義で行動を記述してあることが多く、十三空独自の行動か十二空との共同なのか判然としないことがある。
*昭和12年(1937年)
:7月11日 大村飛行場で臨時編制。第二連合航空隊に編入(戦闘機12・艦上爆撃機18・輸送機1)。
:7月28日 二連空は第二艦隊附属に編入。
:8月7日  大連周水子飛行場に進出。
:9月7日 上海公大飛行場の制圧完了。広大に進出。
:9月19日 蘇州杭州嘉興を十二空と共同で偵察。
:9月16日 南京を十二空と共同で空襲、27日まで連日出撃。
:9月19日 南京空襲時に敵戦闘機隊と空中戦。十二空と共同で14機を撃墜・喪失なし。
:9月22日 江陰方面で中国艦船を十二空と共同で爆撃。寧海平海逸仙を撃破。
:10月1日 上海上陸作戦を十二空と共同で支援。
:10月頃  蘇州江渡河作戦を十二空と共同で支援。
:11月頃  杭州湾上陸作戦を十二空と共同で支援。
:12月2日 南京で最後の空中戦。
:12月12日 「パネー号事件」発生。十二空と共同でアメリカ砲艦パナイを誤爆。
*昭和13年(1938年)
:2月22日 陸攻隊に改編。南京に陸攻24、上海に陸攻8・艦戦12を配備。
:4月28日 漢口を十二空と共同で爆撃。
:6月26日 南昌爆撃を計画するが、天候不良で攻撃不能。十二空が単独で強襲。
:7月14日 漢口・南昌を爆撃。
         以後、漢口攻略作戦に従事。11月15日の陥落まで全力出撃。
*昭和14年(1939年)
:5月3日 重慶を21機で爆撃。以後、重慶への爆撃を断続的に実施。
:10月  内地の新編部隊と交代。内地帰還した旧要員・機体をもって10月1日付で千歳海軍航空隊を新編。
:11月4日 奥田司令直率27機で成都を爆撃。奥田司令戦死。
         ※10月3日の漢口空襲塚原一連空司令官重傷・大林鹿空司令重傷・石川木空副長戦死)の報復攻撃。
*昭和15年(1940年)
:11月15日 解隊。
昭和16年度は対米英戦を睨んで出師準備に着手することとなり、十三空は内地帰還とともに新規陸攻部隊の拡張・新編要員に振り向けられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第十三航空隊」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.