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池添謙一 : ミニ英和和英辞書
池添謙一[いけぞえ けんいち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いけ]
 【名詞】 1. pond 
: [いち]
  1. (num) one 

池添謙一 : ウィキペディア日本語版
池添謙一[いけぞえ けんいち]

池添 謙一 (いけぞえ けんいち、1979年7月23日池添謙一 - TEAM GRIP(チームグリップ)、2015年12月6日閲覧〕) は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東所属の騎手である。
== 来歴 ==
武豊に憧れて競馬学校騎手課程に入学〔 第14回 中央競馬騎手 池添謙一さん - JRA-VAN、2015年12月7日閲覧〕。初騎乗は1998年3月1日阪神競馬第2競走のナチュラルカラーで、12頭立ての6着だった〔。同年1998年3月14日中京競馬第1競走でタヤスソシアルに騎乗し、初勝利を挙げた。また、小倉競馬場の改修工事により阪神競馬場で開催された北九州記念 北九州記念特集 - netkeiba.com、2015年12月8日閲覧〕をトウショウオリオンで制し、デビュー1年目での重賞初勝利となった〔1998年7月 7月26日(日)(2015年12月8日閲覧)〕。同年は38勝を挙げ、JRA賞最多勝利新人騎手を受賞した〔競馬辞典 表彰データ JRA賞 最多勝利新人騎手 (2015年12月8日閲覧)〕。
2001年7月13日ドーヴィル競馬場第4レースのHATHAARIで海外初騎乗を果たした。このレースは武豊が騎乗予定であったが、前のレースで落馬負傷したため、観戦に来ていた池添に急遽騎乗依頼があったもので、騎乗準備をしていなかった池添は、武やオリビエ・ペリエから馬具を借りてレースに臨んだ〔池添騎手 海外デビュー戦の登録名は「Kanichi Ikezeo」 - 2016年3月17日 東スポWeb(2016年3月19日閲覧)〕。
2002年4月7日桜花賞アローキャリーに騎乗、初のGI勝利を挙げた〔。
2003年デュランダルスプリンターズステークス〔、マイルチャンピオンシップ〔で勝利し、2004年は同馬でマイルチャンピオンシップの連覇を達成〔。同年には、スイープトウショウ秋華賞〔も勝利した。スイープトウショウに手こずったというエピソードが数多くあり、2005年の天皇賞(秋)では本馬場入場時に同馬が全く動こうとせず、返し馬を中止して係員がスタート地点まで引っ張っていき、池添がこれを追いかけていくという珍事もあった〔スイープトウショウメモリアル:2005/10/30 天皇賞(秋) (2015年12月13日閲覧)〕。同馬では2005年の宝塚記念〔、エリザベス女王杯〔も制している。
2007年9月9日に史上73人目となるJRA通算500勝を達成した〔池添謙一騎手、JRA通算500勝達成 - 2007年9月9日 netkeiba.com(2014年8月26日閲覧)〕。また、同年12月2日第59回阪神ジュベナイルフィリーズトールポピーで制した〔。
2008年5月25日優駿牝馬 (オークス) をトールポピーで制覇し、自身9度目のGI (JpnI) 勝利を収めた。しかしこのレースでは、最後の直線走路で急に内側に斜行し、走行妨害に至らない危険騎乗をしたものとして開催2日間の騎乗停止処分をJRA裁定委員会より受けた (トールポピーに降着処分は科されてはいない) 。当人は他馬に影響を与えたことに気づいていなかった様子で、勝利騎手インタビューでは「他の馬に迷惑をかけてしまって」と青ざめた表情で話していた〔1着トールポピー - 2008年5月26日 スポニチAnnex(2014年8月26日閲覧)〕。
2009年12月27日第54回有馬記念ドリームジャーニーで制覇〔。同年の6月28日に開催された宝塚記念も同馬で制覇〔しているため、自身初となる春秋グランプリ制覇も成し遂げた〔。
2011年4月24日オルフェーヴルに騎乗し皐月賞で優勝〔。初の牡馬クラシック競走制覇となった〔オルフェーヴル1冠 兄を超えた/皐月賞 - 2011年4月25日 日刊スポーツ(2015年12月13日閲覧)〕。同年5月29日には、オルフェーヴルで日本ダービー優勝、牡馬クラシック二冠を達成し〔、デビュー14年目、7度目の挑戦でダービージョッキーの座についた〔池添は7度目の挑戦、池江師は史上最年少でダービーV - 2011年5月30日 netkeiba.com(2015年12月13日閲覧)〕。同年10月2日カレンチャンでスプリンターズステークス優勝〔。同馬を重賞4連勝でGI制覇に導くとともに〔カレンチャン重賞4連勝でGI初制覇/スプリンターズS - 2011年10月2日 netkeiba.com(2015年12月13日閲覧)〕、自身初となる3週連続重賞制覇を達成した〔【スプリンターズS】強い池添、重賞11勝! - 2011年10月3日 スポニチAnnex(2015年12月13日閲覧)〕。また同日、同年の札幌開催全日程が終了し、初の札幌リーディングを獲得した (18勝) 〔池添謙一騎手が札幌競馬のリーディングに輝く - 2011年10月3日 netkeiba.com(2015年12月13日閲覧)〕。同年10月23日、単勝オッズ1.4倍の圧倒的人気を背負ったオルフェーヴルで菊花賞も制し牡馬クラシック三冠を達成。オルフェーヴルを史上7頭目の三冠馬へと導いた〔オルフェーヴル、史上7頭目の3冠達成/菊花賞 - 2011年10月23日 netkeiba.com(2015年12月13日閲覧)〕。これにより史上最年少三冠ジョッキー (32歳3カ月1日) となったが、ゴール後、同馬が外ラチに向かって逸走し振り落とされるという珍事もあった〔【菊花賞】オルフェ圧巻!3冠!来年「凱旋門賞」 - 2011年10月24日 スポニチAnnex(2015年12月13日閲覧)〕。この菊花賞制覇をもって史上6人目となる5大クラシック競走完全制覇の偉業達成となった〔オルフェーヴル完ぺき三冠制覇! 来年は凱旋門賞へ - 2011年10月23日 スポーツナビ(2015年12月13日閲覧)〕。同年11月20日エイシンアポロンでマイルチャンピオンシップに出走。同馬に騎乗予定だった田辺裕信騎手の騎乗停止に伴い、前年の皐月賞以来のコンビ結成となったが、好位につけ流れに乗ると見事先頭で駆け抜けた〔“最強世代”エイシンアポロン新王者、池添はGI5勝目 - 2011年11月20日 スポーツナビ(2015年12月13日閲覧)〕。同年12月25日、6年ぶりのクリスマスグランプリとなった有馬記念をファン投票2位、単勝1番人気のオルフェーヴルで制覇〔3冠馬オルフェーヴル快勝/有馬記念 - 2011年12月25日 日刊スポーツ(2015年12月13日閲覧)〕。ナリタブライアン以来17年ぶりとなる3歳4冠を達成した〔3冠馬オルフェーヴル快勝、ブエナビスタは7着/有馬記念 - 2011年12月25日 netkeiba.com(2015年12月13日閲覧)〕。この勝利により年間GI6勝目 (タイ記録) 、重賞14勝目を飾り、最高の形で飛躍の年を締めくくった〔池添謙一 (イケゾエケンイチ) 2011年重賞勝利 - netkeiba.com(2015年12月13日閲覧)〕。
2012年1月5日から6日にかけて、ドバイメイダン競馬場で行われたメイダンマスターズ国際騎手チャンピオンシップに参戦。第2戦である6日の第3レースではストリートアクトに騎乗し、海外初勝利および当年の初勝利を挙げた〔池添 謙一騎手のメイダンマスターズにおける騎乗成績 - 2012年1月7日 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル(2015年12月8日閲覧)〕。
同年3月25日、カレンチャンで高松宮記念に出走。直線で早々と抜け出して押し切る快勝で、史上2頭目の秋春スプリントGI連覇を達成した〔【高松宮記念】カレン 史上2頭目の秋春スプリントG1連覇! - 2012年3月25日 スポニチAnnex(2015年12月19日閲覧)〕。同年6月24日、宝塚記念をオルフェーヴルで優勝し同馬での5冠制覇となった〔【宝塚記念】2馬身差圧勝!オルフェ復活Vで5冠達成 - 2012年6月24日 スポニチAnnex(2015年12月19日閲覧)〕。
同年のサマージョッキーズシリーズでは42pを獲得し、同シリーズの自身初優勝を飾った〔2012年 サマージョッキーズシリーズ ポイントランキング 、2015年12月19日閲覧〕。
2013年4月7日から6月10日の2ヶ月間、凱旋門賞でオルフェーヴルの騎乗依頼をもらうためフランスへ遠征〔オルフェ凱旋門賞は仏武者修行の池添有力 - 2013年1月29日 日刊スポーツ(2015年12月19日閲覧)〕。
しかし、2013年の凱旋門賞にも前年に引き続きクリストフ・スミヨンがオルフェーヴルに騎乗することが決定し〔オルフェーヴル 仏遠征はスミヨンと再コンビ決定、昨年の雪辱期す - 2013年5月5日 スポニチAnnex(2015年12月19日閲覧)〕、予定の日付より早く帰国した〔池添 サウンドで再出発 - 2013年5月9日 日刊スポーツ(2015年12月19日閲覧)〕。
凱旋門賞ではオルフェーヴルへの騎乗はならなかった池添だが、引退レースとなる有馬記念での騎乗が決まった〔池江師 オルフェは池添で有馬 トレヴの強さに「あり得ない」 - 2013年10月8日 スポニチAnnex(2015年12月19日閲覧)〕。同年12月22日、本番では1番人気に支持され、12万人を超えるファンが見守る中、3コーナー過ぎからスパートをかけ、8馬身差の圧勝でオルフェーヴルとの最後のレースで見事に期待に応えた〔【有馬記念】オルフェ8馬身差の有終V!池添「世界一、強い」 - 2013年12月23日 スポニチAnnex(2015年12月19日閲覧)〕。
2014年は一転して重賞レース未勝利に終わり、2000年から続いていた連続重賞勝利が14年で途切れることになった〔池添謙一 (イケゾエケンイチ) - netkeiba.com、2015年12月19日閲覧〕。同年12月14日のロンジン香港ヴァーズ(G1)ではカレンミロティックに騎乗、5着だった〔ミロティック力出せた5着/香港ヴァーズ - 2014年12月14日 日刊スポーツ(2015年12月19日閲覧)〕。
2015年3月7日チューリップ賞でクルミナルに騎乗し、史上29人目のJRA通算1万回騎乗を達成した〔池添謙一騎手、JRA通算1万回騎乗を達成 - 2015年3月8日 スポニチAnnex(2015年12月28日閲覧)〕。
同年11月29日ジャパンカップショウナンパンドラで出走。前走4着に敗れた天皇賞(秋)と同じ7枠15番となったが、最後の直線で抜け出した3頭の叩き合いをクビ差で制し、2012年にオルフェーヴルでハナ差2着だった無念を晴らした〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「池添謙一」の詳細全文を読む




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