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武田物外 : ミニ英和和英辞書
武田物外[たけだ もつがい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [もの]
 【名詞】 1. thing 2. object 
: [そと, ほか, げ, がい]
 【名詞】 1. other place 2. the rest 

武田物外 : ウィキペディア日本語版
武田物外[たけだ もつがい]
武田 物外(たけだ もつがい、 寛政7年(1795年3月 - 慶応3年11月25日1867年12月20日))は幕末曹洞宗僧侶、武術家。「拳骨和尚」の名で知られる。不遷流柔術の開祖。不遷法諱である。号、物外泥仏庵とも。怪力の持ち主で、幼いころから数々の逸話が知られている。晩年は長州の「勤王の志士」たちと交流し、第一次長州征伐の調停役としても活躍した。俳諧をよくし、句集『壬子扁大』がある。
== 年譜 ==
*寛政7年3月(1795年)、伊予松山藩士、三木平太夫信茂の長男として生まれる。母は同家中森田太兵衛の娘で、お風呂女として上がったときに藩主松平定直の手が付いたという落胤説があるが、講談風の脚色とみられる。幼名、寅雄、吉次郎。寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に生まれたので幼名が寅雄であるともいう。寅年とすると寛政6年であるが、これも物外の怪力にかこつけた俗説とみられる。
*寛政11年5月7日(1799年)、5歳(数え年以下同じ)のとき松山の龍泰寺の小僧となる。このころからすでに手に負えないいたずら者だったらしい。
*文化3年(1806年) 12歳のとき、伝福寺の観光和尚に引き取られ、弟子となって広島に移る。夜は道場通いに励み、多くの武術を習得する。土地の方言で腕白のことを塩辛といい、物外は「塩辛小僧」として名が売れはじめた。翌年、広島藩主浅野家の菩提所、国泰寺に移る。
*文化6年3月(1809年)、遊び仲間同士の口論から、大がかりな合戦を計画するが、事前に発覚。物外は一方の旗頭であったことが判明して勘当、放逐となる。合戦場所とされた茶臼山を役人が検分したところ、陣立てや地雷などの仕掛けが本格的であることに驚き、「塩辛小僧」を役所へ呼び出して取り調べると、物外は『太閤記』を読んで工夫したと答えたという。
*文化7年(1810年)、16歳で大坂に出て、托鉢修行する。この間、儒学を学ぶ。
*文化9年(1812年)、18歳で雲水となり、諸国を遍歴する。この間、 岡山永祥寺越前永平寺宇治興聖寺などに滞在。
*文政2年(1819年)、江戸に出て、駒込吉祥寺の加賀寮に入る。
*文政4年(1821年)、27歳で山口瑠璃光寺の東林和尚に随って立職、長老となる。後年の志士たちとの交流は、これが機会となったと考えられる。
*文政5年(1822年)、28歳で広島、伝福寺観光和尚のもとに帰る。
*文政11年(1828年)、34歳。尾道済法寺住持となる。以後、物外の高名を伝え聞き、不遷流の指導を受ける者が増える。
*天保5年(1834年)、40歳。玉野浦で雨乞い。
*文久元年(1861年)、67歳。このころ、本因坊秀策と中四国道を同道、金比羅参りをしたという逸話がある。
*元治2年(1865年)、71歳で隠居。改元して慶応元年、物外は第一次長州征伐の調停役を依頼され、願書をしたためて朝廷に奉呈する。このとき、何の沙汰もなかったため、門弟の田辺虎次郎を連れて上京、田辺に願書を持たせて直訴させた。田辺は捕えられたが、願書の上呈には成功、孝明天皇に召されて、直接に願書の意を奏上する機会を得たという。
*慶応3年11月25日(1867年)、海路で尾道への帰途中、大坂の旅館福島屋で没。享年73。
== 物外の武術 ==
柔術は高橋猪兵衛満政について習った難波一甫流柔術である。物外自身は不遷流を称した。
鎖鎌は山田流、槍術宝蔵院流馬術大坪流であった。武芸中、もっとも得意としたのは鎖鎌だったという。
出雲国宗泉寺に滞在中、松江藩直信流柔道第10代師範、石原左伝次の門人、小倉六蔵(後の第11代師範、堤六太夫重正)が、物外と試合して勝った。「雲藩の柔道は強いわい」と、さすがの物外も舌を巻いたという。松江での伝承なので自藩に有利な内容に伝えている可能性もあるが、事実だとすれば物外が試合して敗れたという唯一の例である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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