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橘保国 : ミニ英和和英辞書
橘保国[たちばな やすくに]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たちばな]
 【名詞】 1. kind of citrus fruit 
: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 
: [くに]
 【名詞】 1. country 

橘保国 : ウィキペディア日本語版
橘保国[たちばな やすくに]
橘 保国(たちばな やすくに、正徳5年(1715年) - 寛政4年閏2月23日〔墓碑より。ただし、諸書では「閏」が抜け落ちている。〕(1792年4月14日))は、江戸時代中期の大坂で活躍した狩野派の町絵師。
== 来歴 ==
橘守国の子、門人。大坂の人。幼名は大助。父と同じ後素軒を号す、秋筑堂という堂号も用いたという。父について狩野派の画法を学び、父の業を継いで主に絵本の挿絵を描いた。父との合作もある。
著作として、宝暦5年(1755年)刊行の『絵本野山草』5巻5冊、宝暦7年(1757年)刊行の『画志』3冊、安永8年(1779年)刊行の『絵本詠物選』5巻などが挙げられる。そのうち『絵本野山草』は、165品にも及ぶ植物の特徴を精緻な図とともに記述した本である。反面、保国は肉筆画も描いたはずであるが、現在殆ど確認されていない。宝暦5年までに法橋明和7年(1770年)までに法眼位を得ている。寛政4年(1792年)閏2月23日死去。享年78。墓所は父と同じく、大阪市中央区中寺町の久成寺(くじょうじ)。
門人に、婿養子の橘保春、また橘守行も父守国か保国の弟子だったと想定される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「橘保国」の詳細全文を読む




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