翻訳と辞書
Words near each other
・ 橋本行革
・ 橋本裕之
・ 橋本裕志
・ 橋本裕蔵
・ 橋本裕藏
・ 橋本誠司
・ 橋本誼
・ 橋本警察署
・ 橋本象造
・ 橋本貞元
橋本貞秀
・ 橋本貴久
・ 橋本輝雄
・ 橋本辰二郎
・ 橋本進吉
・ 橋本逸夫
・ 橋本逸男
・ 橋本運転区
・ 橋本道一
・ 橋本道路


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

橋本貞秀 : ミニ英和和英辞書
橋本貞秀[はしもと]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

橋本貞秀 ( リダイレクト:歌川貞秀 ) : ウィキペディア日本語版
歌川貞秀[うたがわ さだひで]
歌川 貞秀(うたがわ さだひで、文化4年〈1807年〔「横浜弌覧之真景」(明治4年(1871年)刊)に「六十五老父橋本玉蘭斎先生画図」と記されている事から逆算。〕〉- 明治12年〈1879年〉?)とは、江戸時代後期から明治時代にかけての浮世絵師横浜絵の第一人者といわれ、精密で鳥瞰式の一覧図や合巻挿絵を描いたことで知られている。
== 来歴 ==
初代歌川国貞の門人。本名は橋本兼次郎。名は兼。初め五雲亭、後に玉蘭、玉蘭斎、玉蘭主人、一玉斎、玉翁などと号す。下総国布佐(現千葉県松戸市)の生まれ。出自は不明な点が多い。
国貞に入門し、初筆は14歳のとき、文政9年(1826年)刊行の『彦山霊験記』(東里山人作)の最終丁「えびすと大黒」の表紙(中の挿絵は歌川貞兼)とされるが、文政4年(1821年滝沢馬琴の弟子岡山鳥作の滑稽本『ぬしにひかれて善光寺参拝』(二冊)とする説もある〔匠秀夫 「横浜錦絵と五雲亭貞秀」、『神奈川県美術風土記』所収、有隣堂、1980年〕。最初は翌年の十辺舎一九作『諸国万作豆』、文政12年(1929年五柳亭徳升作『花軍菊水之巻』といった版本の挿絵ばかり手掛けている。いっぽう文政11年(1828年)、国貞が本所柳島妙見堂境内に建立した「初代豊国先生瘞筆之記」碑背面には11名の国貞門下の名が刻まれているが、貞秀はわずか数え22歳で4番目に位置しており、将来を嘱望されていたことが窺える。
天保1830年-1844年)初期になると美人画芝居絵の作品が増えてきており、団扇絵肉筆画にも佳作を残した。反面読本草双紙、数は少ないが噺本や艶本の挿絵も数多く続ける。当時のベストセラー『傾城水滸伝』でも、師国貞や兄弟子国安に互して天保6年(1835年)刊の十三編の挿絵を担当し、この頃には一流絵師の仲間入りしていたと言える。しかし同年から描き始めた自作自画の合巻は他の作者の改作が多く、評判は芳しくない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「歌川貞秀」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.