翻訳と辞書
Words near each other
・ 樺山可也
・ 樺山善久
・ 樺山幸久
・ 樺山忠副
・ 樺山忠助
・ 樺山愛輔
・ 樺山氏
・ 樺山町
・ 樺山紘一
・ 樺山資之
樺山資紀
・ 樺山資英
・ 樺山資雄
・ 樺山資雄 (官僚)
・ 樺山駅
・ 樺山龍之介
・ 樺岡駅
・ 樺島
・ 樺島勝一
・ 樺島彩


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

樺山資紀 : ミニ英和和英辞書
樺山資紀[かばやま すけのり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かば]
 (n) birch
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 

樺山資紀 : ウィキペディア日本語版
樺山資紀[かばやま すけのり]

樺山 資紀(かばやま すけのり、天保8年11月2日1837年12月9日) - 大正11年(1922年2月8日)は、日本武士薩摩藩士)、軍人政治家階級海軍大将栄典従一位大勲位功二級伯爵
警視総監(第3代)、海軍大臣(第45代)、海軍軍令部長(第6代)、台湾総督初代)、枢密顧問官内務大臣第15代)、文部大臣第14代)を歴任した。
== 経歴 ==
薩摩国鹿児島城加治屋町二本松馬場(高見馬場方限)に薩摩藩士橋口与三次兼器の三男に生まれ、覚之進と名づけられ育てられる。のちに同藩士、樺山四郎左衛門の養子となる。
薩英戦争戊辰戦争に従軍の後、明治4年(1871年)に陸軍少佐に任ぜられ、明治5年(1872年)より南清に出張、台湾出兵に従軍。西南戦争では熊本鎮台司令長官谷干城少将の下、同鎮台参謀長として熊本城を死守する。その後警視総監陸軍少将に昇進するが、海軍へ転じ、明治16年(1883年)に海軍大輔、同19年(1886年)には海軍次官となる。
国政では明治23年(1890年)から同25年(1892年)にかけての第1次山縣内閣第1次松方内閣海軍大臣をつとめる。第2回帝国議会1891年11月21日召集)において、政府提出の軍艦建造案が「海軍部内の腐敗が粛清されなければ予算は認められない」と否決されると激昂、「薩長政府トカ何政府トカ言ッテモ、今日国ノ此安寧ヲ保チ、四千万ノ生霊ニ関係セズ、安全ヲ保ッタト云フコトハ、誰ノ功カデアル。」と、薩長藩閥政府の正当性と民党の主張する「経費節減」「民力休養」を批判する趣旨の発言(いわゆる「蛮勇演説」)を行う。民党の反発により議場は騒然となり、予算は不成立となった。
日清戦争直前に海軍軍令部長に就任する。明治28年(1895年)に海軍大将に昇進する。同年5月10日、初代台湾総督に就任、台北に総督府を開庁する。
その後も枢密顧問官第2次松方内閣内務大臣第2次山縣内閣文部大臣を歴任した。なお、第2次松方内閣の内務大臣であった明治29年(1896年)11月12日、改正条約発効の準備のための改正条約施行準備委員会委員長に就任している。
明治38年(1905年)11月20日に後備役となり〔『官報』第6719号、明治38年11月21日。〕、同43年(1910年)11月20日に退役した〔『官報』第8227号、明治43年11月22日。〕。
墓所は豊島区駒込染井霊園

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「樺山資紀」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.