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横溝正史 : ミニ英和和英辞書
横溝正史[よこみぞ せいし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よこ]
 【名詞】 1. beside 2. side 3. width 
: [こう, みぞ]
 【名詞】 1. ditch 2. drain 3. gutter 4. gap 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
正史 : [せいし]
 (n) authentic history

横溝正史 : ウィキペディア日本語版
横溝正史[よこみぞ せいし]

横溝 正史(よこみぞ せいし、1902年明治35年)5月24日 - 1981年昭和56年)12月28日)は、日本小説家推理作家。本名は同字で「よこみぞ まさし」。当初は筆名も同じ読みであったが、誤読した作家仲間にヨコセイと渾名されているうちに、セイシをそのまま筆名とした(エッセイ「本名と筆名」による)。兵庫県神戸市東川崎(現在の中央区神戸ハーバーランド界隈)生まれ〔『横溝正史読本』(小林信彦・編、角川文庫、2008年改版) 「年譜」参照。〕。
金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で有名。また、薬剤師免許を持っていた。
== 経歴 ==
1902年明治35年)5月24日、兵庫県神戸市東川崎に父・宜一郎、母・波摩の三男として生まれる。父親は岡山県浅口郡(現倉敷市)船穂町柳井原出身。
1920年大正9年)3月、神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)を卒業、第一銀行神戸支店に勤務。
1921年、雑誌『新青年』の懸賞に応募した「恐ろしき四月馬鹿エイプリル・フール)」が入選作となる。これが処女作とみなされている。
1924年大阪薬学専門学校大阪大学薬学部の前身校)卒業後、一旦薬剤師として実家の生薬屋「春秋堂」に従事していたが、1926年江戸川乱歩の招きに応じて上京、博文館に入社する。1927年に『新青年』の編集長に就任、その後も『文芸倶楽部』、『探偵小説』等の編集長を務めながら創作や翻訳活動を継続したが、1932年に同誌が廃刊となったことにより同社を退社し、専業作家となる。
1934年昭和9年)7月、肺結核の悪化により、長野県八ヶ岳山麓での療養生活(富士見高原療養所)を余儀なくされ、執筆もままならない状態が続く。1日あたり3 - 4枚というペースで書き進めた渾身の1作『鬼火』も当局の検閲により一部削除を命じられる。また、戦時中は探偵小説の発表自体が制限されたことにより、捕物帖等を中心とした執筆に重点を移さざるを得ないなど、不遇な時代が続いた。作家活動が制限されたため経済的にも困窮し、一時は本人も死を覚悟するほど病状が悪化したが、終戦後、治療薬ストレプトマイシンの急激な値崩れにより快方に向かう。
1945年(昭和20年)4月より3年間、岡山県吉備郡真備町岡田(現・倉敷市真備町)に疎開第二次世界大戦終戦後、推理小説が自由に発表できるようになると本領を発揮し、本格推理小説を続々と発表する。1948年、『本陣殺人事件』により第1回探偵作家クラブ賞(後の日本推理作家協会賞)長編賞を受賞。同作はデビュー後25年目、長編としても8作目にあたるが、自選ベストテンとされるものも含め、代表作と呼ばれるものはほとんどこれ以降(特にこの後数年間)に発表されており、同一ジャンルで書き続けてきた作家としては異例の遅咲き現象である。やや地味なベテランから一挙に乱歩に替わる日本探偵小説界のエース的存在となった。
人気が高まる中、骨太な本格探偵小説以外にも、やや通俗性の強い長編も多く執筆。4誌同時連載を抱えるほどの売れっぷりだったが、1960年代に入り社会派ミステリーの台頭とともに急速に執筆量が激減。まもなく筆を折って一時は数点の再版や『人形佐七捕物帳』のみが書店に残る存在となっていたが、1968年講談社の『週刊少年マガジン』誌上で『八つ墓村』が漫画化・連載(作画:影丸穣也)されたことを契機として注目が集まる。同時に、江戸川乱歩、夢野久作らが異端の文学としてブームを呼んだこともあり、1970年代初頭には最初の全集が講談社より刊行された。少し遅れてオカルト・ブームもあり、横溝の人気復活もミステリーとホラーを融合させた際物的な側面があったが(実際には横溝は超常現象的な内容はほとんど書かない)、映画産業への参入を狙っていた角川春樹はこのインパクトの強さを強調、自ら陣頭指揮をとって角川映画の柱とする。
結果、『犬神家の一族』を皮切りとした石坂浩二主演による映画化(「石坂浩二の金田一耕助シリーズ」参照)、古谷一行主演による毎日放送でのドラマ化(「古谷一行の金田一耕助シリーズ」参照)により、推理小説ファン以外にも広く知られるようになる。作品のほとんどを文庫化した角川はブームに満足はせず、さらなる横溝ワールドの発展を目指す。70歳の坂を越した横溝も、その要請に応えて驚異的な仕事量をこなしていたとされる。1976年1月16日の朝日新聞夕刊文化欄に寄稿したエッセイ「クリスティと私」の中で、前年に「田中(平櫛田中のこと)先生には及びもないが、せめてなりたやクリスティ(アガサ・クリスティ)」という戯れ歌を作ったと記している(別のインタビュー記事では「田中さん」となっている)。田中が100歳の誕生日に30年分の木工材料を買い込んだというエピソードを聞いてのものであった。
実際に、この後期の執筆活動により、中絶していた『仮面舞踏会』を完成させ、続いて短編を基にした『迷路荘の惨劇』、金田一耕助最後の事件『病院坂の首縊りの家』、エラリー・クイーンの「村物」に対抗した『悪霊島』と、70代にして4冊の大長編を発表している。『仮面舞踏会』は、社会派の影響を受けてか抑制されたリアルなタッチ、続く2冊はブームの動向に応えて怪奇色を強調、『悪霊島』は若干の現代色も加えるなど晩年期ですら作風の変換に余念がなかった。また、小林信彦の『横溝正史読本』などのミステリー研究の対象となったのもブームとは無縁ではない。
1976年(昭和51年)勲三等瑞宝章受章〔『真説 金田一耕助』(横溝正史著、角川文庫、1979年) 「勲章を貰う話」参照。〕。
1981年(昭和56年)12月28日結腸ガンのため死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「横溝正史」の詳細全文を読む




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