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エラリー・クイーン : ミニ英和和英辞書
エラリー・クイーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エラリー・クイーン : ウィキペディア日本語版
エラリー・クイーン[ちょうおん]

エラリー・クイーン(Ellery Queen)は、アメリカ推理作家フレデリック・ダネイ(Frederic Dannay、1905年10月20日 - 1982年9月3日)とマンフレッド・ベニントン・リー(Manfred Bennington Lee、1905年1月11日 - 1971年4月3日)が探偵小説を書くために用いた筆名の一つ。ダネイとリーは従兄弟同士であり、ユダヤ系移民の子である。上記の彼らの個人名もそれぞれペンネームであり、ダネイの本名はダニエル・ネイサン(Daniel Nathan)、リーの本名はマンフォード・エマニュエル・レポフスキー(Manford Emanuel Lepofsky)。
小説シリーズでは、エラリー・クイーンは著者の名前だけでなく物語の名探偵の名前でもある。一般的人気はクリスティに劣るものの、日本では特に熱烈なマニアの崇拝を集め、この名を第一に挙げる推理作家が非常に多い。なお共作の手法は、まずプロットとトリックをロサンジェルスに住むダネイが考案し、それをニューヨークに住むにリーに電話で伝え、2人で議論を重ねたあとリーが執筆した。2人がこの創作方法をとるようになったのは、プロットを思いつく能力は天才的ながら文章を書くのが苦手なダネイと、プロットは作れないが文章は大変上手なリーの2人の弱点を補完するためであった。
日本では昔からマニア的読者に強い人気を誇り、影響を受けた作家が数多く存在する〔 誰にでもわかるような形でペンネームに名前を取り入れた依井貴裕、警視の父親を持つ作者と同名の作家兼探偵という主人公をそのまま踏襲して作品を発表し続けている法月綸太郎のほか、『ニューウェーブ・ミステリ読本』(1997年原書房)では有栖川有栖千街昌之によって「日本のクイーンの称号に相応しい」と記され、同書のインタビューでは綾辻行人が好きな作家として「海外では断然クイーン」と語っている。 〕。
== 経歴 ==
『ローマ帽子の謎』から『スペイン岬の謎』までのいわゆる国名シリーズは、ヴァン・ダインの影響が見られるものの、読者への挑戦状など独自の工夫もあり、手掛りの解釈に緻密さと大胆さを両立させ得た作風は、本格探偵小説として評価が高い。
同時にバーナビー・ロス名義で、聾者の探偵ドルリー・レーンが活躍する4部作も発表している。第2作『Yの悲劇』は、とりわけ日本で評価が高く、S・S・ヴァン=ダイン の『グリーン家殺人事件』の影響を受けつつも、さらに意外な犯人で、推理小説の歴史に残る傑作とされる(第1期)。
『中途の家』から『ドラゴンの歯』までの5作品は、クイーンがハリウッドで脚本の仕事を始めたり、女性誌に作品を発表したりし始めたことから、恋愛小説的要素が増えた(第2期)。
ライツヴィルという架空の地方都市を舞台にした『災厄の町』から、人間の心理面に重きが置かれるようになり、『九尾の猫』では悲劇的な真相に気づいて涙を見せるなど、超人的な名探偵であったエラリーが、間違いを犯し苦悩することもある人間として描かれる。そして、中年となったエラリーが30年前(『ローマ帽子の謎』直後)の事件の真相に気づく、集大成的な作品『最後の一撃』でこの時期は終わる(第3期)。この「間違いを犯し苦悩することもある人間」としての探偵については、後期クイーン的問題としてしばしば議論の対象となる。
1960年代以降の作品のいくつかは、監修は行っていたと考えられるものの、執筆は他の作家によることが知られている。代表的なものには、シオドア・スタージョンによる『盤面の敵』、エイヴラム・デイヴィッドスンの手になる『第八の日』『三角形の第四辺』などがある(第4期)。これらはクイーンの本来の共作スタイルとして、「ダネイがプロット担当、リーが執筆担当」だったものが、リーの衰えにより、ダネイのプロットの作品化を他作家に委ねたものである〔飯城 勇三『エラリー・クイーンの騎士たち―横溝正史から新本格作家まで』(論創社)〕。
同時期にペーパーバック・オリジナルで刊行されたクイーン名義のミステリとロス名義の歴史小説も事情は同じである。『二百万ドルの死者』『青の殺人』の2作が翻訳されている。遡って1940年代にも他者の手になるノベライゼーション『大富豪殺人事件』『エラリー・クイーンの事件簿』やエラリー・クイーン・ジュニア名義の児童もの(内8作翻訳あり)がある。
初期から晩年までダイイング・メッセージに固執し続けたが、この点については都筑道夫他評価しない論者もいる。
実作以外には、1933年に創刊された雑誌「ミステリー・リーグ」の編集に参加(二人で参加)。ただし雑誌は4号で廃刊となった。その後1941年に推理小説専門誌 ''エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン (Ellery Queen's Mystery Magazine、EQMM)'' を創刊(ダネイ単独)して新人作家の育成を行ったり、アンソロジーの編纂により過去の作家の佳作を発掘するなどの活動も広く行った。「エラリー・クイーンはアメリカの探偵小説である」 "Ellery Queen is the American detective story."という評もある。
1961年MWA賞巨匠賞を受賞している。さらに、1950年にEQMMにもMWA賞特別賞が贈られている。
『災厄の町』は、『配達されない三通の手紙』として、野村芳太郎監督により1979年に映画化された。1978年には『Yの悲劇』も清水邦夫脚本、石坂浩二主演で連続TVドラマ化されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エラリー・クイーン」の詳細全文を読む




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