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榎本武揚 : ミニ英和和英辞書
榎本武揚[えのもと たけあき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [えのき]
 【名詞】 1. nettle tree 2. hackberry
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

榎本武揚 : ウィキペディア日本語版
榎本武揚[えのもと たけあき]

榎本 武揚(えのもと たけあき、1836年10月5日天保7年8月25日) - 1908年明治41年)10月26日)は、日本武士幕臣)、化学者外交官政治家海軍中将正二位勲一等子爵通称釜次郎梁川(りょうせん)。榎、釜を分解した「夏木金八(郎)」という変名も用いていた。なお、武揚は「ぶよう」と故実読みでも呼ばれた。
伊能忠敬の元弟子であった幕臣・榎本武規(箱田良助)の次男として生まれる。昌平坂学問所長崎海軍伝習所で学んだ後、幕府の開陽丸発注に伴いオランダへ留学した。帰国後、幕府海軍の指揮官となり、戊辰戦争では旧幕府軍を率いて蝦夷地を占領、いわゆる「蝦夷共和国」の総裁となった。箱館戦争で敗北し降伏、東京・辰の口の牢獄に2年半投獄された。
敵将・黒田清隆の尽力により助命され、釈放後、明治政府に仕えた。開拓使北海道の資源調査を行い、駐露特命全権公使として樺太千島交換条約を締結したほか、外務大輔、海軍卿、駐清特命全権公使を務め、内閣制度開始後は、逓信大臣文部大臣外務大臣農商務大臣などを歴任、子爵となった。
また、メキシコに殖民団を送ったほか、東京農業大学の前身である徳川育英会育英黌農業科や、東京地学協会電気学会など数多くの団体を創設した。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===

1836年天保7年)、江戸下谷御徒町柳川横町(現在の東京都台東区浅草橋付近)、通称・三味線堀の組屋敷で西丸御徒目付・榎本武規の次男として生まれる。
近所に住んでいた田辺石庵に入門し儒学を学んだ後、1851年嘉永4年)、昌平坂学問所に入学。1853年(嘉永6年)に修了するが、修了時の成績は最低の「丙」であった〔近代日本の万能人・榎本武揚, pp. 141-143〕。1854年安政元年)、箱館奉行堀利煕の従者として蝦夷地箱館(現在の北海道函館市)に赴き、蝦夷地・樺太巡視に随行。1855年(安政2年)、昌平坂学問所に再入学する(翌年7月退学)〔が、同年長崎海軍伝習所の聴講生となった後、1857年(安政4年)に第2期生として入学。海軍伝習所では、カッテンディーケポンペらから機関学、化学などを学んだ。カッテンディーケは伝習所時代の榎本を高く評価していた。
1858年(安政5年)海軍伝習所を修了し、江戸の築地軍艦操練所教授となる。また、この頃、ジョン万次郎の私塾で英語を学び、後に箱館戦争をともに戦う大鳥圭介と出会う〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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