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栗塚旭 : ミニ英和和英辞書
栗塚旭[くりづか あさひ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くり]
 【名詞】 1. Japanese chestnut 2. castanea crenata 
: [つか]
 【名詞】 1. mound 
: [あさひ]
 (n) morning sun

栗塚旭 : ウィキペディア日本語版
栗塚旭[くりづか あさひ]

栗塚 旭(くりづか あさひ、1937年昭和12年)5月9日 - )は、北海道札幌市〔日本映画人名事典(1996年、キネマ旬報社)p.575.〕 出身の俳優。近年は舞台活動が中心だが、昭和40年代に演じた土方歳三は当たり役となり、多くの作品で土方を演じている。後年の『暴れん坊将軍』シリーズで山田朝右衛門も当たり役である。劇団くるみ座出身。
==来歴・人物==
北海道札幌市出身。幼少の頃に父を亡くし、札幌市立向陵中学校〔 を卒業する頃には母も亡くしたため、教師をしていた兄夫婦を頼って1953年(昭和28年)4月に京都へ移り住む〔洛北高校同窓会誌 あかね42号「新撰組と私」(洛北高校同窓会)〕。京都府立洛北高校へは編入という形での入学だったため、定時制へ1年間通い、翌年から全日制へ移った〔。定時制当時は、法然院などへ来ていた映画撮影隊のロケを昼間の空いた時間を使ってよく見に行ったという〔。
高校では放送部に所属〔。部の新入生の恒例行事として参加させられた『正しい日本語講座』で講師をしていた女優・毛利菊枝との出会いが後に人生の転機に繋がる〔。高校3年生時の文化祭では三島由紀夫原作の戯曲『邯鄲』を上演〔、次郎役(主役)を演じて演出も担当した。
高校を卒業して浪人中だった1957年(昭和32年)、予備校に通っていたが大学受験の勉強に身が入らず、毛利菊枝が主催する劇団くるみ座稽古場へ見学に行ったところ、「イヤイヤ机に向かっているより青春を賭けるのはこっちだ〔『テレビ映画 新選組血風録の世界』キャスト・インタビュー 栗塚旭 p.224.(新人物往来社)〕」と演劇に惹かれ、くるみ座付属の『毛利菊枝演劇研究所』に入所。研究生を経て、1958年(昭和33年)に正式にくるみ座の劇団員となった。
くるみ座に入った当初は、演劇よりも広告モデルの仕事などの方が多く、大阪そごうデパートクラボウワイシャツなどの新聞広告週刊誌広告のモデル仕事をこなし、高島屋テレビCMにも出演〔『テレビ映画 新選組血風録の世界』キャスト・インタビュー 栗塚旭 p.225.(新人物往来社)〕。1960年代前半期にはKHKラジオ(現・KBS京都ラジオ)の『藤井大丸テレフォンリクエスト』のディスクジョッキーを2年間ほど担当した〔『テレビ映画 新選組血風録の世界』キャスト・インタビュー 栗塚旭 p.226 - p.227.(新人物往来社)〕。
その間、志願して毛利菊枝の付き人もこなし、毛利に付き従って映画やテレビドラマの様々な撮影現場に足を踏み入れ、この時の付き人の経験は「カチンコの音にも慣れ、撮影所の裏表も見ていて対処の仕方を体で覚えていたので、いざ自分がカメラの前に立っても緊張することがなかった」と、後に自身が映像作品に出演した際に役立ったと述懐している〔『テレビ映画 新選組血風録の世界』キャスト・インタビュー 栗塚旭 p.226.(新人物往来社)〕。
テレビドラマは、日本電波映画東伸テレビ制作の作品に脇役で何本か出演した後、1964年(昭和39年)に「栗塚旭を明智光秀役で使いたい」と東映から劇団へ連絡が入り〔、NET東映京都テレビプロダクション制作の品川隆二主演『忍びの者』で光秀役に起用され、そこで監督の河野寿一や当時はまだ助監督だった松尾正武らと出会う。その後、同社制作の『つむじ風三万両』、『六人の隠密』、『柳生武芸帳』と、東映京都テレビプロ作品に立て続けにゲストで起用された。
そして、1965年(昭和40年)には『新選組血風録』で主役の土方歳三役に大抜擢され、これが栗塚のイメージを決定づけるハマリ役となって評判を呼び、ニヒルな演技と風貌で人気を集め、以降もテレビ、映画、舞台で幾度となく土方を演じるほどの当たり役となった。
1966年(昭和41年)に京都市民映画祭『テレビ部門主演男優賞』と日本映画製作者協会『スター新人賞』を受賞し、その後も脚本家・結束信二と河野寿一監督、松尾正武監督らの手による『われら九人の戦鬼』、『俺は用心棒』、『帰って来た用心棒』、『天を斬る』、『燃えよ剣』などの東映京都テレビプロ作品やTBSテレビ松竹制作の『』といったテレビ時代劇、さらに『ばってら』、『商魂』などの現代劇でも主演をつとめ、松竹映画では『映画版・おはなはん(第1部・第2部)』、『春日和』、『女の一生』などで岩下志麻の相手役を演じ、1978年(昭和53年)から始まった『暴れん坊将軍』シリーズではセミレギュラーの山田朝右衛門役を20年近くに渡って演じた。
1968年(昭和43年)末に劇団くるみ座を退団〔。俳優業の傍ら、京都の『哲学の道』沿いに購入した自宅の敷地内で1972年(昭和47年)4月〔 より喫茶店若王子』を経営していた(長年に渡って店を手伝っていた義姉の死去などの諸事情により2002年平成14年)1月に休業)。
2004年(平成16年)のNHK大河ドラマ新選組!』では、土方歳三の実兄・土方為次郎役として出演。ドラマ収録時に会った土方歳三役の山本耕史の年齢(当時27歳)が、自身が土方を演じた当時の年齢とほぼ同じなのを知り、『何も恐れることはないし、堂々と演じたらいい』と励ましのエールを送ったという〔。
2005年(平成17年)、主演映画『二人日和』(監督:野村恵一)が岩波ホールロングラン上映され、同作品は『第5回ニッポン・コネクション(ドイツ・フランクフルト日本映画祭)グランプリ』、『第60回毎日映画コンクール技術賞』、『第25回藤本賞奨励賞』、『第2回おおさかシネマフェスティバル撮影賞』を受賞した。作品は現代の京都を舞台に、神主京都御所関係の神官装束を作り続けてきた、栗塚演じる寡黙な伝統職人と、長年連れ添った余命幾ばくもない妻(藤村志保)との夫婦の機微が描かれた。
2006年(平成18年)から2009年(平成21年)にかけ、CS時代劇専門チャンネルにて往年の主演ドラマ『新選組血風録』、『燃えよ剣』、『用心棒シリーズ』、『天を斬る』やその他の出演作品が再放送されたことをきっかけに、当時からのファンはもとより、栗塚の全盛期を知らない新たなファン層からも大きな反響を呼び、時代劇専門チャンネル公式ホームページ内には栗塚ファンに向けての専用掲示板が別個に設置されるなど、異例ともいえるほどの好評を博した。
この時の人気再燃ぶりは、読売新聞夕刊2007年(平成19年)12月12日)でも『土方歳三役・栗塚旭ブーム再燃 若い女性層にも広がる』という記事として取り上げられ、その後も時代劇専門チャンネルの広報番組や特別企画番組にゲストとして度々出演するなど、時代劇専門チャンネルのマスコット的な存在となっている。現在も関西を中心に活動している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「栗塚旭」の詳細全文を読む




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