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松平頼重 : ミニ英和和英辞書
松平頼重[まつだいら よりしげ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

松平頼重 : ウィキペディア日本語版
松平頼重[まつだいら よりしげ]

松平 頼重(まつだいら よりしげ)は、江戸時代前期の大名常陸下館藩主、のち讃岐高松藩初代藩主。水戸藩初代藩主徳川頼房の長子で、"水戸黄門"こと2代藩主徳川光圀の同母兄。3代藩主徳川綱條の父。
== 生涯 ==
水戸徳川家初代徳川頼房の長男に生まれる。
懐妊した母・久昌院は、父・頼房に堕胎を命じられたが、三木之次は頼房の准母英勝院に相談の上、江戸麹町の邸宅で秘密裏に出産させ、頼房に隠したまま江戸で育てられた。光圀懐妊時にはその事実が発覚しないよう、京に送られ大納言滋野井季吉に預けられて養育される。天龍寺慈済院の洞叔寿仙のもとで学問を学ぶ。その後1632年に、水戸からの招きで藩邸に入るも1637年まで、父頼房に御目見できなかった。この間、水戸藩の嗣子には同母弟の徳川光圀が決定していた。翌1638年に右京大夫を名乗り将軍徳川家光御目見した。このときの扱いは、光圀に次ぐ次男の扱いであった。翌年常陸下館5万石を与えられた。その後1642年生駒騒動で改易となり天領となった讃岐高松に12万石で入封される。
将軍名代として後水尾上皇に拝謁したり、交通の要所の讃岐を与えられるなど、次男扱いとされていても、長男に相応しい待遇を得ている。後に実子の徳川綱方徳川綱條が光圀の養子となり、水戸藩の家督は綱條が継ぐ。一方、頼重は光圀の実子・松平頼常を養子に迎え、延宝元年(1673年)に家督を譲って隠居した。元禄8年(1695年)に没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平頼重」の詳細全文を読む




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