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松平頼該 : ミニ英和和英辞書
松平頼該[まつだいら よりかね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [がい]
  1. (pref) said 2. matter in question

松平頼該 : ウィキペディア日本語版
松平頼該[まつだいら よりかね]
松平 頼該(まつだいら よりかね、文化6年3月14日1809年4月28日) - 慶応4年8月10日1868年9月25日))は、幕末仏教改革者。別名、左近、金岳、宮脇公。幼名、隆之丞。江戸小石川出身。高松藩8代藩主松平頼儀の長男。
== 略歴 ==
異母弟の頼胤が生まれると疎まれ、8歳のとき国元高松に移される。31歳で高松藩城下の宮脇村亀阜荘へ隠居する。その後、幕末の勤皇志士と交わり、日柳燕石藤川三渓らを庇護した。また本門佛立宗高松八品講を組織する。
戊辰戦争で高松藩は、慶応4年(1868年)1月3日の鳥羽・伏見の戦いに幕府側として加わったことから朝敵となり、官軍による征討の対象となった。藩内には、官軍を迎え討って戦火を交えることを辞さない意見もあったが、頼該が藩論をまとめ、1月18日に家老の小河又右衛門久成(おごう またうえもんひさしげ)と小夫兵庫正容(おぶ ひょうごまさしず)を切腹させて首を鎮撫使に差出し、藩主頼聰を城から出させて浄願寺にて謹慎させ、官軍に恭順を示し高松藩を戦火から救った。頼該は同年のうちに死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平頼該」の詳細全文を読む




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