翻訳と辞書
Words near each other
・ 松平頼誠
・ 松平頼説
・ 松平頼謙
・ 松平頼豊
・ 松平頼貞
・ 松平頼起
・ 松平頼路
・ 松平頼道
・ 松平頼邑
・ 松平頼重
松平頼隆
・ 松平頼雄
・ 松平頼雄 (宍戸藩主)
・ 松平頼雄 (西条藩嫡子)
・ 松平頼順
・ 松平館
・ 松平高校
・ 松平高等学校
・ 松平龍樹
・ 松広寺


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松平頼隆 : ミニ英和和英辞書
松平頼隆[まつだいら よりたか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

松平頼隆 : ウィキペディア日本語版
松平頼隆[まつだいら よりたか]
松平 頼隆(まつだいら よりたか、寛永6年11月29日1630年1月12日) - 宝永4年11月30日1707年12月23日))は、江戸時代大名常陸保内藩主、常陸府中藩の初代藩主。
常陸水戸藩初代藩主・徳川頼房の五男。徳川光圀の弟。母は興正寺18世・准尊(藤原昭玄)の娘。側室に高橋氏。片岡氏。子に頼方(長男)、頼寧(次男)、頼如(三男)、娘(水谷勝美正室のち毛利元次継室)、娘(池田仲澄正室)。官位は従四位下、侍従、播磨守。母方の祖父は石山戦争で知られる本願寺門主・顕如の孫にあたる。叙位任官前は、右近また、頼母を称し、は頼安から頼隆に改める。
寛永6年(1629年)11月29日生まれ。寛文元年(1661年)9月、兄・光圀より保内郷33ヶ村、およそ2万を分与されて水戸藩の支藩である保内藩を立藩した。元禄13年(1700年)9月幕府によって所領を吹上から府中に移されたため、常陸府中藩を立藩する。宝永2年(1705年)9月28日、三男の頼如に家督を譲って隠居し、宝永4年(1707年)11月30日に79歳で死去した。
== 経歴 ==
※日付は旧暦で記されている。
*1646年正保3年)12月30日、従四位下侍従兼播磨守に叙任。
*1661年寛文元年)9月26日、常陸国久慈郡保内ほか常陸水戸藩領より父の遺領2万石を賜う。
*1700年元禄13年)9月25日、常陸府中藩(茨城県石岡市)2万石藩主となる。なお、従前の2万石は水戸藩に返還。
*1705年宝永2年)9月28日、隠居。
*1707年(宝永4年)11月30日、卒去。法名は長徳院梅峯無極。墓所は茨城県常陸太田市の瑞龍山。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平頼隆」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.