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李烈キン : ミニ英和和英辞書
李烈キン[り, すもも]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 

李烈キン ( リダイレクト:李烈鈞 ) : ウィキペディア日本語版
李烈鈞[り れつきん]

李 烈鈞(り れつきん)は清末中華民国の軍人、政治家。中華民国における事実上の初代江西都督。中国同盟会中国国民党に所属し、孫文(孫中山)の参謀・側近というべき人物であった。原名は烈訓協和。号は侠黄
== 事跡 ==

=== 清末の事跡 ===
1902年光緒28年)、江西武備学堂に入学。1904年(光緒30年)冬に日本へ留学し、東京振武学校で学ぶ。1907年(光緒33年)、陸軍士官学校で砲術を学んだ。なお、同期留学生には、閻錫山李根源唐継尭程潜等がいる。日本留学中に革命派の思想に共鳴し、中国同盟会に加わった他、北洋系の武学社にも参加している。
1908年(光緒34年)、陸軍士官学校を卒業して帰国し、江西混成協第54標第1営管帯に任命された。しかし、反清思想を流布した罪に問われて一時拘禁される。1909年宣統元年)、昆明に移り、雲南陸軍講武堂の教官に任命された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「李烈鈞」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Li Liejun 」があります。




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