翻訳と辞書
Words near each other
・ 杉浦敏介
・ 杉浦敏朗
・ 杉浦敦
・ 杉浦敬宏
・ 杉浦文夫
・ 杉浦日向子
・ 杉浦昌子
・ 杉浦昌弘
・ 杉浦明平
・ 杉浦未幸
杉浦梅潭
・ 杉浦次郎
・ 杉浦正一郎
・ 杉浦正健
・ 杉浦正則
・ 杉浦正友
・ 杉浦正幸
・ 杉浦正建
・ 杉浦正直
・ 杉浦正美


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

杉浦梅潭 : ミニ英和和英辞書
杉浦梅潭[すぎうらばいたん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [すぎ]
 【名詞】 1. Japanese cedar 2. cryptomeria japonica 
: [うら]
 【名詞】 1. inlet 
: [うめ]
 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) 

杉浦梅潭 : ウィキペディア日本語版
杉浦梅潭[すぎうらばいたん]

杉浦 梅潭(すぎうら ばいたん)は江戸時代後期から明治時代の旗本、官僚、漢詩人。最後の箱館奉行。目付及び箱館奉行時代を書き記した日記『経年紀畧』、浪士組に関する記録帳『浪士一件』を著した。
== 生涯 ==

=== 幼少期 ===
旗本小林氏の婿養子であった久須美祐義の子に生まれる。文政10年(1827年)に父が小林氏と離縁し、実家久須美家へ戻った。梅潭は母の元に残されたが、天保3年(1832年)10月に久須美家に引き取られた。天保14年(1843年)、祖父祐明大坂西町奉行に異動すると、父と共に大坂へ赴いた。ここで祖父の仕事ぶりを見学したり、武術の稽古を付けてもらった。嘉永元年(1848年)に旗本杉浦家の養子に入った。
その後嘉永4年(1851年)に大番衛士として幕府に仕官、鉄砲玉薬奉行、洋書調所頭取を経て、文久2年(1862年)8月、老中板倉勝静に抜擢されて目付に任命された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「杉浦梅潭」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.