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本角寅造 : ミニ英和和英辞書
本角寅造[もとずみ とらぞう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [つの]
 【名詞】 1. horn 
: [とら]
 【名詞】 1. third sign of Chinese zodiac (The Tiger, 3a.m.-5a.m., east-northeast, January) 

本角寅造 : ウィキペディア日本語版
本角寅造[もとずみ とらぞう]

本角 寅造(もとずみ とらぞう、嘉永6年12月12日1854年1月10日) - 大正2年(1913年6月6日)は、日本政治家中浜村長(初代)、県会議員。
== 経歴 ==
小篠津村(のち鳥取県境港市小篠津町)の本角家は代々"与平"、"所十郎"を襲名する豪農で、大庄屋をつとめた由緒ある家柄だった〔『境港市史 上巻』 555頁〕〔士分の在方役人に対して郡村行政の実務を担当したのが大庄屋以下の農村自治役人であり、在役人と呼ばれた。在役人はまた郡政を担当する郡役人と、村政を担当する村役人に区分される。郡村行政の最高責任者が大庄屋で、藩初期の会見郡には4名が配置され、会見郡を4構に区分して各々の行政を分担した。宗旨庄屋は寛永10年(1633年)ころから各郡1、2名あて新設された。寛永10年(1633年)の『大庄屋給帳』によると、会見郡には4名の大庄屋が配置されており、その内の一人車尾村次郎左衛門(深田氏)が浜目地区を担当したものと推定される。以後元禄初年までの浜目地区担当の大庄屋としては、小篠津村の角次郎左衛門、角半左衛門、角三郎兵衛、車尾村深田三郎右衛門が続き宗旨庄屋には延宝7年(1679年)以後元禄初年まで角与兵衛があり、その間与兵衛は組頭庄屋をも兼帯していた。郡役人を歴任した小篠津村角氏には現在の小篠津村「本角家」先祖と通称「麦垣角」の2系統があったといわれている。当時の小篠津村は、南弓浜開発の中心基地となった村であり、角家は新田開発の先導役として弓浜半島の豪農に成長したものと思われる(『境港市史 上巻』昭和61年、336-342頁)。「紀氏譜記」には江戸期の 小篠津村の旧家角与兵衛紀氏一門の末葉につながる由緒を伝えている(『境港市史 上巻』昭和61年、17頁)〕。
寅造は、先代所十郎の長男文蔵が幼少のため財ノ木の角家より入り、同家の家督を継いで明治18年(1885年)県会議員、続いて第7連合戸長を務めた〔。
明治22年(1889年)11月中浜村長に就任し、小篠津尋常小学校を中浜尋常小学校と改めて新しい村づくりの中核とし、校地も拡張した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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