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本堂城 : ミニ英和和英辞書
本堂城[ほんどうじょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
本堂 : [ほんどう]
 【名詞】 1. main temple building 2. nave 
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 

本堂城 : ウィキペディア日本語版
本堂城[ほんどうじょう]
本堂城(ほんどうじょう)は、秋田県仙北郡美郷町に所在していた中世日本の城。城跡は県指定史跡となっている。
== 概要 ==
本堂城は、戦国時代に構築された平城で、本堂氏の居城である。六郷複合扇状地扇端近くに立地し、城跡の北西側を矢島川雄物川水系)が南西方向に流れる。内堀は東西182m、南北273mの矩形をなし、幅はおよそ10mで東西南北にめぐらされ、北西端のみ矢島川の自然の流れを利用していたとみられる。内城の周囲には内堀に接して高さ4m、基底部分の幅が6mの断面が台形状の土塁が築かれていたと考えられる。内城(曲輪)は、本丸のみのシンプルな構造と思われ、その広さは東西140m×南北180mであった。現在、内堀跡の一部は水田、また内城跡は畑地として利用され、東北端には土塁の一部が遺存している。
慶長19年(1614年)銘の現存する古絵図『本堂城廻絵図』(皆川氏旧蔵、現秋田県立博物館所蔵)によれば、さらに外堀があったことが記されている。その規模は東西436m、南北405mにもおよんでおり、小領主のものとしては大規模なものである。絵図によれば、内堀から20mから30mの距離をへだてて、内堀を包むように囲み、南側だけが凸状に出ており、南に正門、東西の中央部にもそれぞれ門のあったことがわかる。このうち、東門だけが城下町と本堂城を直接むすんでいる。
城跡から炭化米や礎石が出土しているが、規模や構造、立地などの面からみて軍事的意味はあまり高くない。おそらくは村落支配の必要上、平城の経営におよんだものと推定できる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「本堂城」の詳細全文を読む




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