翻訳と辞書
Words near each other
・ 新釈諸国噺
・ 新里 (弘前市)
・ 新里VYS
・ 新里テレビ中継局
・ 新里中央小学校
・ 新里中学校
・ 新里亮
・ 新里北小学校
・ 新里堅進
・ 新里宏太
新里宮内少輔
・ 新里小学校
・ 新里彰平
・ 新里智将
・ 新里村
・ 新里村 (岩手県)
・ 新里村 (群馬県)
・ 新里東小学校
・ 新里町
・ 新里町大久保


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

新里宮内少輔 : ミニ英和和英辞書
新里宮内少輔[しん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しん]
  1. (n,n-suf,pref) new 
: [り]
 【名詞】 1. ri (old measure) 2. 2. 44 miles 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 

新里宮内少輔 ( リダイレクト:坪井元政 ) : ウィキペディア日本語版
坪井元政[つぼい もとまさ]

坪井 元政(つぼい もとまさ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将安芸国国人。怪力で知られ多くの伝説を残した。新里宮内少輔の名で知られ、地元の史書では坪井将監と呼称されることが多い。
== 生涯 ==
安芸国の国人・新里因幡守の子として誕生。母は温科家親の娘。怪力であったといわれる。
はじめ厳島神主家に仕えたが、その勢力が衰えると大内氏に仕えた。厳島の戦いの前哨戦となる折敷畑の戦い直前になり毛利氏に降り、坂保良とともに宮川房長軍の誘い込みに成功している。天文24年(1555年)の厳島の戦いでは、己斐直之とともに宮尾城に入城して、陶晴賢率いる大内軍を誘引した。『陰徳太平記』には「前々から城内に蓄えていた巨大な石を鳥の羽より軽々と引っさげて、大木を投げつけると、突撃してきた敵兵が盾もろとも砕け散った」という記述がある。また、厳島の戦いの後に所在名を取り、坪井氏を称した。
その後も引き続き毛利氏に仕え、元亀元年(1570年)から始まる石山合戦では、石山本願寺に入り織田軍に抵抗した。その功を認められ、本願寺顕如より阿弥陀如来の木像や法然筆の名号などを褒美として受領。帰国後、父の因幡守が開いた善正寺浄土真宗に改めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「坪井元政」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.