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折敷畑の戦い : ミニ英和和英辞書
折敷畑の戦い[おしきばたのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おり]
  1. (n-adv,n-t) chance 2. suitable time 
: [はたけ]
 【名詞】 1. field 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

折敷畑の戦い : ウィキペディア日本語版
折敷畑の戦い[おしきばたのたたかい]

折敷畑の戦い(おしきばたのたたかい)は、日本の戦国時代に行われた合戦のうちのひとつ。明石口の戦い(あかしぐちのたたかい)とも呼ばれる。天文23年(1554年)に陶晴賢(派遣部将は宮川房長)と毛利元就との間に行われた戦いである。厳島の戦いの前哨戦として扱う場合もある。
従来は、9月15日に合戦が行われたとされていたが、この日付は江戸期に成立した『吉田物語』や『新裁軍記』によって通説化したもので誤りとされ、実際に合戦が行われたのは6月5日とされている〔戦争の日本史12 西国の戦国合戦(著:山本浩樹 2007年 吉川弘文館)〕〔毛利元就 「猛悪無道」と呼ばれた男(著:吉田龍司 2010年 新紀元社)〕〔戦国合戦史事典(著:小和田泰経 2010年 新紀元社)〕(後述)。
== 背景 ==

天文20年(1551年)に大内義隆が、重臣・陶隆房(陶晴賢)らによる謀反によって討たれた時、毛利氏は大内氏の従属下にあった。義隆を岳父としていた元就の長男・毛利隆元は、義隆の敵討ちを目指して打倒陶を主張したが、力の差などを現実的に判断した元就は思いとどまった。この頃、既に元就は大内氏からの独立の機を伺っていたとする意見もあるが、それを裏付けるような史料はなく、後世の脚色と考えられる。むしろ元就は、この謀反と合わせて安芸国の反陶勢力を掃討、晴賢に同調することで勢力拡大を図った。その後も引き続き、大内・陶氏との従属関係を維持していた毛利氏であったが、勢力拡大に伴って次第に晴賢に警戒されるようになる。
一方、義隆に恩義があった石見国津和野三本松城主・吉見正頼は、天文22年(1553年)10月に晴賢に対して挙兵。翌年3月に大内・陶軍による吉見討伐が始まる(三本松城の戦い)。これに先立ち、毛利は吉見と陶の両方から加勢を求められていた。元就は陶側への参陣を考えていたとされるが、隆元が強く反対して家中の意見が割れる。その後、しびれを切らした晴賢が毛利傘下の安芸国人衆に対して直接出兵を要求したことが露呈したため、ついに元就は大内氏からの離反・独立を決めた。
なお、吉見正頼は密かに元就と同盟してから反乱を起こしたという説もあるが、当初元就は陶軍に参加を決めていたとされており、毛利家内部でも意見が統一されておらず(毛利元就の項を参照)、後世に結果から見て行われた脚色であるとされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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