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三本松城の戦い : ミニ英和和英辞書
三本松城の戦い[さんぼんまつじょうのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
三本 : [さんぼん]
 【形容詞】 1. three (long cylindrical things) 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

三本松城の戦い : ウィキペディア日本語版
三本松城の戦い[さんぼんまつじょうのたたかい]

三本松城の戦い(さんぼんまつじょうのたたかい)は、日本の戦国時代に行われた合戦のうちのひとつ。天文23年(1554年)3月から8月にかけて、大内義長陶晴賢が、石見国三本松城(現在の津和野城城主である吉見正頼吉見氏第10代当主)を攻めた戦いである。城址の説明板などでは「三本松城の役」とも表記されている。
== 背景 ==
天文20年(1551年)、大寧寺の変により大内義隆を討った陶隆房(後の晴賢)は、豊後国大友氏へと身を寄せていた大内一族の大友晴英を招き、大内義長として新たな大内家当主に据えた。事実上は陶晴賢の傀儡当主ではあったが、毛利元就益田藤兼など、大内氏傘下にあった国人領主らは引き続き義長に仕えることとなった。
その中で、石見津和野の国人である吉見正頼は義隆と義兄弟(義隆の姉が正室)であり、正頼が吉見家の家督相続するにあたり多大の恩義があった。反対に吉見氏と陶氏は過去に度々対立する仇敵と言える関係であり〔吉見氏第8代当主の吉見信頼は、文明2年(1470年)に大内教幸が起こした反乱(大内道頓の乱)に協力したが、その反乱軍を討って鎮圧したのが陶弘護である。さらに12年後の同14年(1482年)には、山口築山館で行われた宴席中に信頼が弘護を刺殺する事件が発生している。その他、吉見氏・陶氏の間には周防佐波郡にて領地を巡る諍いも抱えていた。〕、大寧寺の変では陶隆房は益田藤兼の軍勢を吉見領に差し向けるなどしていた〔益田氏と吉見氏は長らく対立関係にあり、かつ益田氏と陶氏は姻戚関係にあった。〕。その為、変後より正頼は反陶晴賢の姿勢を示していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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