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厳島神主家 : ミニ英和和英辞書
厳島神主家[いつくしまかんぬしけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
神主 : [かんぬし]
 【名詞】 1. Shinto priest 
: [ぬし, おも]
 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god 
主家 : [しゅか]
 (n) employer's house
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

厳島神主家 : ウィキペディア日本語版
厳島神主家[いつくしまかんぬしけ]

厳島神主家(いつくしまかんぬしけ)は、安芸国(現在の広島県厳島神社神主を務めた一族である。鎌倉時代末期から戦国時代には在地武士団として活動し、水軍を備えた国人勢力として活動した。家紋は杏葉九曜。
== 佐伯氏の時代(平安時代~鎌倉時代初期) ==
推古元年(593年)に、安芸国佐伯の有力豪族であった佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に社殿を創建したのが厳島神社の縁起である。文献にその名が初めて認められるのは弘仁2年(811年)となる。その後厳島神社の神主家は佐伯氏が世襲していた。平安時代の末期の神主家の当主であった佐伯景弘は、平氏一門に取り入り、厳島神社は平家の保護を受け、大変栄えた。その後、平家は1185年壇ノ浦の戦いで壊滅した。鎌倉幕府が開かれ源氏の時代となると、佐伯景弘は今度は鎌倉幕府に取り入った。その後の30年、時代の荒波を乗り越えて、厳島神社と神職の佐伯氏は繁栄を続けた。
しかし佐伯氏の繁栄は続かなかった。1221年承久の乱で、佐伯氏は後鳥羽上皇側として活動したため、乱の終結後に佐伯氏は神主家当主の座を降ろされ、鎌倉幕府の御家人であった藤原親実が新たな厳島神主家となった。その後の佐伯氏は、厳島神社の神官として活動することとなる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「厳島神主家」の詳細全文を読む




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