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戸塚維泰 : ミニ英和和英辞書
戸塚維泰[とつか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
: [つか]
 【名詞】 1. mound 
: [たい]
 【名詞】 1. Thailand  

戸塚維泰 ( リダイレクト:戸塚静海 ) : ウィキペディア日本語版
戸塚静海[とつか せいかい]
戸塚 静海(とつか せいかい、寛政11年(1799年) - 明治9年(1876年1月29日)は、幕末蘭方医。幕府奥医師。名は維泰。
== 生涯・人物==
寛政11年(1799年)、遠江国掛川宿の医師・戸塚隆珀の三男として生まれる。長崎鳴滝塾で、シーボルトよりオランダ医学を学ぶ。シーボルト事件に連座。安政5年(1858年)、大槻俊斎伊東玄朴らと図り、お玉が池種痘所設立。同年7月3日、将軍・徳川家定の急病に際し薩摩藩医より幕府医師に登用。同年11月23日、法眼に叙せらる。
文久2年(1862年)12月16日、竹内玄同とともに法印に昇叙、静春院と号す。将軍・徳川家茂の没後、和宮が静寛院宮と称したため、「静」の字を避けて杏春院と改名。明治9年(1876年)に没。谷中霊園に葬る。養子・戸塚文海は海軍軍医総監
伊東玄朴・坪井信道とともに、江戸の三大蘭方医と呼ばれた。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「戸塚静海」の詳細全文を読む




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