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後藤覚乗 : ミニ英和和英辞書
後藤覚乗[ごとう かくじょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [のち]
  1. (n,adj-no) afterwards 2. since then 3. in the future 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 

後藤覚乗 : ウィキペディア日本語版
後藤覚乗[ごとう かくじょう]
後藤 覚乗(ごとう かくじょう、天正17年(1589年) - 明暦2年閏4月22日1656年5月16日))は、江戸時代前期の金工家。金工の後藤勘兵衛(上後藤)家の2代。後藤宗家5代後藤徳乗の甥。後藤長乗(光栄)の次男。は光信、通称は勘兵衛
==出自==
後藤家は室町幕府に御用達金工(彫金)師として仕え、その作品は「御家彫」といわれた。織田信長豊臣秀吉刀剣装身具大判鋳造の御用達も務め、また大判の鋳造と墨判および両替屋分銅の鋳造を請負った。江戸期の後藤宗家(四郎兵衛家)の家業は、彫金・大判座・分銅座であり、俗に「後藤家の三家業」といわれ、茶屋四郎次郎家、角倉了以家と共に「京都の三長者」に数えられた。ちなみに、小判鋳造を手がけたのは江戸の金座(小判座)・庄三郎家である。家紋は五三桐
覚乗の伯父で後藤宗家の徳乗は関ヶ原の戦い石田三成に属したが、父長乗が徳川家康についたため、後藤家は改易を免れた。長乗は家康より寵愛を受け、「禁裏御所御宝剣彫物所」の看板を掲げ、公儀の役以外に外国との往復文書作成にも関わった。また、放鷹術に長け、鷹師20人を引き連れ諸大名の放鷹の指南をした。そして、旧細川満元邸の広大な庭を拝領し、それは後に擁翠園といわれ、仙洞御所東本願寺渉成園とともに「林泉広大洛中ノ三庭」(洛中の三庭)の一つに数えられる庭となった。長乗は絵画・詩歌も嗜んだ文化人でもあり、鷹峯の本阿弥光悦とも親しかった。なお、覚乗の甥に狩野探幽の養子で江戸幕府御用絵師となった狩野益信(洞雲)がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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