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平賀隆宗 : ミニ英和和英辞書
平賀隆宗[ひらが たかむね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

平賀隆宗 : ウィキペディア日本語版
平賀隆宗[ひらが たかむね]

平賀 隆宗(ひらが たかむね)は、戦国時代武将安芸国人領主平賀氏当主。家の慣例に倣い、大内氏の当主・大内義隆より偏諱を受けて隆宗と名乗る。
== 生涯 ==
安芸国の国人領主・平賀興貞嫡男として誕生。
大永4年(1524年)に毛利氏家中に争いが起き、坂元祐が逃れてくると、これを庇護した。
父が頭崎城主になった後、大内氏・尼子氏への対応で大内派の祖父・平賀弘保と尼子派の父が争う事態となった。隆宗は弟の新九郎(後の平賀広相)と共に祖父に味方した。この争いは合戦にも発展し、天文9年(1540年)、大内義隆の命を受けた毛利元就が介入して頭崎城を落とし、父は出家、隆宗が平賀氏の家督を継承した。
天文12年(1543年)、備後神辺城主の山名理興が大内氏に反旗を翻した(神辺合戦)。隆宗は他の大内傘下の国人領主らと共に討伐に向かったが、天文18年(1549年)、陣中で病死した。
家督は義隆の介入によって、小早川氏庶流の平賀隆保が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「平賀隆宗」の詳細全文を読む




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