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平群広成 : ミニ英和和英辞書
平群広成[へぐり の ひろなり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

平群広成 : ウィキペディア日本語版
平群広成[へぐり の ひろなり]
平群 広成(へぐり の ひろなり、生年不詳 - 天平勝宝5年1月28日753年3月11日))は、奈良時代貴族朝臣讃岐平群豊麻呂の子。官位従四位上武蔵守
遣唐使の判官(三等官)としてに渡るが、帰国の途中難船。はるか崑崙国(チャンパ王国。今のベトナム中部沿海地方)にまで漂流したが、無事日本へ帰りついた。古代の日本人のなかで最も広い世界を見たとされる人物である。
== 時代背景 ==
神亀5年(728年1月17日日本海を渡って渤海の使節が初めて平城宮に入朝した。使節は前年9月に蝦夷地に漂着し、大使・高仁義ら16名は蝦夷に襲われて死亡、首領・高斉徳ら8名が生き残って出羽国に助けを求めたものであった。彼らが提出した渤海郡王・大武芸の国書には、渤海を高句麗の再興であると宣言し、日本との友好善隣を求めていた。天智天皇7年(668年)に新羅連合軍に滅ぼされた高句麗の遺民が再び国を起こしたものであった。早速、引田虫麻呂が送渤海使に任命され、高斉徳らを送って渤海に向かった。引田虫麻呂は天平2年(730年8月29日帰朝、渤海王の進物や国書を携えてきた。
天平4年(732年8月17日に遣唐使派遣が決定された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「平群広成」の詳細全文を読む




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