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平康頼 : ミニ英和和英辞書
平康頼[たいら の やすより]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

平康頼 : ウィキペディア日本語版
平康頼[たいら の やすより]
平 康頼(たいら の やすより、久安2年(1146年)? - 承久2年(1220年))は、平安時代武士信濃権守中原頼季の子〔『勅撰作者部類』〕。官位は六位・左衛門大尉後白河法皇の近習として北面に仕える。平判官入道と称された。
== 経歴 ==
明法道(法律)の家柄である中原氏に生まれる。十代で平保盛平清盛の甥)の家人となる。保盛は長寛元年(1163年)正月24日付で、越前国国司に任ぜられており、18歳の康頼も越前国に派遣されて、この頃に主君から平姓の賜与を受けたと思われる。保盛は仁安元年12月30日(1167年1月22日)付で、尾張国の国司に転任し、康頼を目代に昇格させて派遣した〔『ふるさと森山』鴨島町森山公民館郷土研究会,1990年〕。
尾張国知多郡野間の荘には平治の乱で敗走の途中に相伝の家人により湯殿で非業の死を遂げた源義朝源頼朝の父)の墓があったが、誰も顧みる者も無く荒れるに任せていた。康頼はこの敵将の墓を修理して堂を立て、六口の僧を置き不断念仏を唱えさせ、その保護のために水田三十町歩を寄進した。もちろん、国司・保盛の許可を得てしたことであろうが、当時、この噂は京にも聞こえ後白河上皇の耳にも達して、平康頼なる人物は目代ながら、武士道の礼節をわきまえた頼もしい若者との深い印象を与え、近習に取立てた。また清盛はじめ平家一門の人々からも、敵将の墓を修理して保護した康頼を、武士の鑑、一門の名を高めたとして好評判であった。任官と同時に、上皇の近習にとり立てられ半月もたたない仁安4年(1169年)1月14日、後白河上皇12回目の熊野参詣には、早くも近習として供を命ぜられている。また嘉応元年(1170)4月20日。後白河上皇は、平清盛と同伴で東大寺に参詣したが、康頼ら7人の衛府役人が随行している。また後白河上皇は今様を非常に愛好しており、多くの公家や官人にも教えていたが、康頼も門弟の一人で〔『梁塵秘抄口伝集』巻10〕、しかも美声で声量もあり、抜きん出た歌い手であった。その点でも、上皇から特に目をかけられていたようである。検非違使・左衛門大尉に任ぜられ、平判官と称した。
安元3年(1177年)6月には、鹿ケ谷の山荘で藤原成親西光俊寛らの平家打倒の密議に参加。しかし、多田行綱の密告により策謀が漏れて康頼も捕縛され、俊寛・藤原成経と共に薩摩国鬼界ヶ島へ流された。(鹿ケ谷の陰謀
平家物語』によると、信仰心の厚かった康頼は配流にあたり出家入道し性照と号した。配流先で京を懐かしむ日々の中、成経と康頼は千本の卒塔婆に望郷の歌を記し海に流すことを思い立つ。一本の卒塔婆が安芸国厳島に流れ着き、これに心を打たれた平清盛は赦免を行う。治承2年(1178年)に赦免船が来島し、成経と康頼は赦免され京へ戻るが、俊寛は許されなかった。康頼は帰京後、伯母が尼となって身を寄せていた東山雙林寺で、仏教説話集『宝物集』を編集執筆する。
平家滅亡後、文治2年(1186年)には源頼朝によって、阿波国麻殖保(おえのほ)の保司に任命された〔『吾妻鏡』文治2年閏7月22日条〕。
康頼は京より三人の家人を伴い森藤の地に下向した。康頼はすでに41歳になっていた。
康頼は承久2年(1220年)頃、自らの生涯75年間におきた出来事を記録し、一通を京都の雙林寺へ送り、一通は玉林寺に残し、その年に大往生した。方一丁の土地通称一町地で火葬される。遺言で家人の鶴田氏が康頼神社を建て主君を神として祀り代々祭司を務めた。康頼神社の脇に墓がある。遺骨は分骨されて、京都東山の雙林寺にも埋葬された。康頼神社の脇に三基の五輪塔があるが、康頼の母、康頼、俊寛の3人のものという。清盛の怒りが解けず、鬼界が島に一人残された俊寛は、数年後に都から、はるばる訪ねて来た弟子の有王の世話をうけながら、自ら絶食して生命を絶った。有王は主人を火葬して骨を持ち帰り、高野山に埋葬したが、康頼はその分骨をゆずり受けて、壇の下に葬ったとも言われている。〔『ふるさと森山』鴨島町森山公民館郷土研究会,1990年,36頁〕
歌人として『千載和歌集』(4首)以下の勅撰和歌集に6首が採録されている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「平康頼」の詳細全文を読む




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