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岸田忠氏 : ミニ英和和英辞書
岸田忠氏[きしだ ただうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きし]
 【名詞】 1. bank 2. coast 3. shore 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

岸田忠氏 : ウィキペディア日本語版
岸田忠氏[きしだ ただうじ]
岸田 忠氏(きしだ ただうじ、? - 元和元年12月2日1616年1月20日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名大和国岸田領主。晴澄とも。伯耆守。
== 生涯 ==
はじめ大和国の戦国大名筒井順慶に仕え、2,000石を領したが、筒井氏伊賀へ転封となると、大和を治めた豊臣秀長や養子の豊臣秀保に仕えた。
秀保の死後は豊臣秀吉の家臣となり、大和国山辺郡岸田1万石を賜る。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは石田三成方に属し、豊臣秀頼配下の黄母衣衆として織田信高伊藤盛正らと小西行長の陣営に加わり戦ったが敗れたため、改易となり、慶長6年(1601年)11月に盛岡藩主・南部利直に預けられた。
元和元年(1616年)に死去し、光林寺(現・石鳥谷町)に葬られた。齢70余。子孫は盛岡藩士として存続した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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