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山手線 : ミニ英和和英辞書
山手線[やまのてせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
山手 : [やまて]
 【名詞】 1. hilly (residential) section of a city 2. uptown 
: [て]
 【名詞】 1. hand 

山手線 : ウィキペディア日本語版
山手線[やまのてせん]

山手線(やまのてせん)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営する鉄道路線である〔JR東日本:路線一覧 〕。

「山手線」には、次の4つの意味合いがある。旅客案内および運行管理上は2.が多用される。
# 路線名称としての「山手線」:東京都港区品川駅を起点に、渋谷駅新宿駅池袋駅を経由して北区田端駅を結ぶ全長20.6kmの鉄道路線(幹線)の名称〔「山手線 命名100年-38年前に読み統一 「やまのてせん」に」『朝日新聞』2009年3月7日付夕刊、第3版、第14面。〕。東海道本線の支線。『鉄道要覧』に記載された山手線の区間でもある。全線複々線であるが、このうちの埼京線電車、湘南新宿ラインの列車や特急列車貨物列車の走る線路を通称「山手貨物線」と呼ぶ〔。
# 運転系統としての「山手線」:上記 1. に東海道本線の一部および東北本線の一部区間を合わせて東京都区内で環状運転を行う近距離電車の運転系統。実際にはこの運転系統のみが使用する専用の線路があり、それを「山手線」と呼ぶ〔山手線のヒミツ70、イカロスMOOK、p.14・15〕。
# マルスのシステム上の経路表示における「山手線」:上記1.から、代々木駅 - 新宿駅間を除外し、田端駅 - 日暮里駅間を含む(代々木駅 - 新宿駅間は「中央東線」と表示される)。
# 運賃計算上の「東京山手線内」:東京駅からの営業キロ程が100キロ超200キロ以内の範囲に所在する駅に発着する乗車券(または1キロ超200キロ以内の範囲に所在する駅に発着する一部の特別企画乗車券)に表示されることがある運賃計算上の名称。上記2.の区間に加え、環状線内側にある中央本線神田駅 - 代々木駅間および総武本線秋葉原駅 - 御茶ノ水駅間を含む。また、この区間内相互の近距離運賃は区間外よりも低額に設定されている〔JTB時刻表JTBパブリッシング2014年3月号、p.966・968・970・973〕。
以降、本項において特記のない場合は、2. の運転系統としての山手線を指すものとする。
== 概要 ==
山手線は、日本の首都である東京都心部で環状運転を行い〔、多くの駅において、都心から各方面へと伸びるJR(在来線新幹線)や私鉄各社の放射路線、および都心部を走る地下鉄各線に接続している〔鉄道ファン、交友社、2010年2月号、p.29〕。1周の長さは34.5km、1周の所要時間は内回り、外回りとも標準で59分〔大崎駅で乗務員交代のため1分停車するため、実際の所要時間は60分である。〕、朝ラッシュ時は61分、夕方ラッシュ時は60 - 61分(いずれも大崎での停車時間を除く)である〔山手線のヒミツ70、イカロスMOOK、p.82・83〕。ラインカラー1963年登場の103系電車の車体の色に使用されたウグイス色(、国鉄黄緑6号)であり〔国鉄初めての新性能電車である101系が、中央線急行電車(現・快速)の次の路線として山手線に配置された当時はカナリア色黄5号)をラインカラーにする予定であった。その後経済性を重視した103系に置き換えることとなり、2年間で全車カナリア色の時代は終わり、101系電車は中央・総武緩行線(各駅停車;総武快速線開通までは、内房線木更津、成田線成田直通の快速電車にも充当)用として転属していった。そのため、中央線総武線各駅停車のラインカラーがカナリア色になった。〕、以降登場したステンレス車両の帯の色や〔山手線のヒミツ70、イカロスMOOK、p.36・37〕旅客案内(路線図・サインシステムなど)にも使用されている。
山手線は、日本の文明開化期に私鉄の日本鉄道が当時国内有数の貿易港であった横浜港関東地方内陸部の各地(埼玉県群馬県栃木県)さらに東北地方および北陸地方方面を結ぶ貨物線として建設した、赤羽駅 - 品川駅(および大井町駅)間を結ぶ鉄道路線(当初は品川線と呼称)である。当時の東京の人口密集地域であった下町を避け、街外れだった山手に建設された〔山手線のヒミツ70、イカロスMOOK、p.16・17〕。その後、同じく日本鉄道が現在の常磐線方面と横浜港方面間の接続を目的として建設した池袋駅 - 田端駅間(当初は豊島線と呼称)を加え現在の山手線の線路の原型が完成〔山手線のヒミツ70、イカロスMOOK、p.24・25〕、国有化の後、戦後高度成長期に池袋駅 - 赤羽駅間を現行の赤羽線として分離した〔日本鉄道旅行地図帳5号「東京」、新潮社、p.29〕。開業以来、武蔵野線が開通するまでは、関東北部および東北方面から横浜港方面に向けの輸出品輸送、逆方向の輸入品輸送の大動脈であった。現在も少数であるが東北本線方面と東海道本線方面を結ぶ貨物列車が毎日運行されている〔TOYOTA LONGPASS EXPRESSなどがある。〕〔鉄道ファン、交友社、2010年2月号、p.40〕。
旅客輸送については、開業当初は新橋 - 品川 - 新宿 - 赤羽間を往復する列車が1日数往復のみ運行され〔、その後東京山手の人口増に伴い上野駅を起点として池袋駅、新宿駅渋谷駅、品川駅、新橋駅を経て東京駅方面に至る環状運転が開始され〔鉄道ファン、交友社、2010年2月号、p.20〕、その後、上野駅 - 東京駅間の開通により京浜線と東北本線の相互直通運転が開始された時期と同じくして、現在の運行形態へと移行、定着した。
明治後期から昭和期にかけての私鉄各社は、地下鉄道であれば東京地下鉄道東京高速鉄道のように東京15区内に路線を敷設することができたが、地上線となると東京15区内が東京市電の路線網内だったこともあり敷設が難しく、山手線の各駅に隣接して都心側のターミナル駅を設置することとなった。戦後も引き続き山手線内に新設する路線はすべて地下鉄道であることが条件となったため、私鉄の資本力では山手線内に直通することは実現不可能となった。山手線の各駅は都内交通への乗り継ぎ・中継地となり、やがて各私鉄が自力で都心延伸するよりもターミナルに自社の商業施設を集中した方が利益になると判断し始め、大手私鉄のターミナル駅となっていた渋谷新宿池袋副都心として発展を遂げていく。
こうした新都心を相互に連結する山手線は、東京の交通網の基本路線として機能しており、戦後、私鉄が営団地下鉄(現在の東京地下鉄〈東京メトロ〉)や都営地下鉄相互直通運転を開始し、郊外から電車が直接都心に乗り入れるようになっても、依然東京山手の副都心間を結ぶ路線等として機能している。一方で、地下鉄網の発達や並行する山手貨物線の旅客化〔鉄道ファン、交友社、2010年2月号、p.27〕、山手線自身の6ドア車導入による11両化により〔山手線のヒミツ70、イカロスMOOK、p.122・123〕、以前よりも混雑が緩和されている(田端 - 品川間で併走する京浜東北線も近年混雑が緩和されている)。現在の朝ラッシュ時最混雑区間は外回りの上野駅御徒町駅間で、数値は216%にのぼる。これも上野東京ライン(東北本線の上野駅 - 東京駅間列車線延伸)の開業で緩和される見通しである〔山手線に新駅ができる本当の理由、市川宏雄、p.55〕。
平均駅間距離はJR東日本管内の路線では最も短く、JRグループ全体でも大阪環状線に次いで2番目に短い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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