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山口青邨 : ミニ英和和英辞書
山口青邨[やまぐち せいそん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 
: [あお]
 (n) 1. blue 2. green 3. green light

山口青邨 : ウィキペディア日本語版
山口青邨[やまぐち せいそん]
山口 青邨(やまぐち せいそん、1892年5月10日 - 1988年12月15日)は、岩手県出身の俳人、鉱山学者。高浜虚子に俳句を師事、工学博士として東京大学に勤めながら俳誌「夏草」を主宰した。本名は吉朗(きちろう)。初号は泥邨。
== 経歴 ==
岩手県盛岡市出身。父は士族の家柄。5歳のときに母が死去し、母方の叔父夫妻の元で育った〔。岩手県立盛岡中学校卒業、1910年、第二高等学校入学。野球部でキャプテンを務めた〔。1916年、東京帝国大学工科大学採鉱科卒業。古河鉱業に入社。1918年、退社し農商務省技師として鉱山省に勤務。19年にはシベリア炭鉱を調査した。1921年、東京大学工学部助教授。1922年結婚。1927年から1929年までベルリンに留学。1929年、東京大学工学部教授。1953年、東大教授を定年退職し名誉教授。
二高時代にドイツ語教授の戸張一郎から文学上の影響を受ける。1920年に文芸誌「玄土」を創刊、シュトルムの「湖」を日本で初めて訳し、「蜜蜂の湖」の題で発表した〔。1922年より高浜虚子に師事。「山会」に参加し、はじめは写生文の書き手として頭角を現した〔。また同年に水原秋桜子山口誓子富安風生高野素十らと東大俳句会を結成。1923年、「芸術運動」発刊。「ホトトギス」の僚誌「破魔弓」にも参加し、同誌が1928年7月号から改題により「馬酔木」となった際には、水原秋桜子らとともに同人のひとりであった。
1928年、ホトトギスの講演会で「どこか実のある話」と題する講演。この中で「東に秋素の二Sあり! 西に青誓の二Sあり!」と語ったことで、水原秋桜子高野素十阿波野青畝山口誓子の四人が「ホトトギス」の「四S」として知られるようになる〔。当時虚子・素十と秋桜子との対立が始まったことを慮っての発言であったが、間もなく秋桜子と誓子は「ホトトギス」を離れていくことになった。
1929年、「ホトトギス」同人。以後終生「ホトトギス」の同人であった。1930年、盛岡市で「夏草」を創刊、選者ののち主宰。「夏草」ではのち古舘曹人深見けん二有馬朗人斎藤夏風黒田杏子などが育つ。また写生文の掲載も特徴であった。1931年、東京・杉並区和田本町に転居。多くの植物を愛で、のちにみずから「雑草園」と称し句集の題にも取った。1934年、東大ホトトギス会を興し学生を指導。
東大教授を定年退職して後は毎日俳壇など各種の新聞・雑誌で選者を務めた。1988年死去。没後、蔵書は日本現代詩歌文学館に収蔵された。また長く住んだ「雑草園」も同館の別館として移築・保存されている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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