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富安風生 : ミニ英和和英辞書
富安風生[とみやす ふうせい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 
: [ふう, かぜ]
  1. (adj-na,n,n-suf) method 2. manner 3. way 
: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 

富安風生 : ウィキペディア日本語版
富安風生[とみやす ふうせい]

富安 風生(とみやす ふうせい、1885年(明治18年)4月16日 - 1979年(昭和54年)2月22日)は、愛知県出身の俳人。本名は謙次。高浜虚子に師事。逓信省に勤めながら俳誌「若葉」を主宰。温和な作風で知られた。
== 経歴 ==
愛知県八名郡金沢村(現在の豊川市金沢町辺り)生まれ。豊橋町立豊橋尋常中学時習館第一高等学校東京帝国大学法科大学卒業。卒業後は逓信省に入り、のち逓信次官。1912年に平塚の杏雲堂で療養。
俳句をはじめたのは遅く、1918年、34歳のとき福岡貯金支局に支局長として赴任した時期に吉岡禅寺洞の手引きを受けたことに始まる。翌年に福岡に来た高浜虚子に接し、「ホトトギス」に投句。同年に本省に転勤。1922年に東大俳句会の結成に関わる。
1928年(昭和3年)、逓信省内の俳句雑誌「若葉」の選者となり、のちに主宰誌とする。岸風三楼菖蒲あや清崎敏郎加倉井秋を岡本眸らを育てた。また「ホトトギス」の僚誌「破魔弓」が同年7月号から改題により「馬酔木」となった際には、水原秋桜子らとともに同人のひとりであった。
1929年(昭和4年)、「ホトトギス」同人。1936年(昭和11年)、逓信次官の職を辞して官界を引退、「句作三昧の生活」に入る。戦後は電波監理委員会委員長を務めた。1971年(昭和46年)、日本芸術院賞受賞〔『朝日新聞』1971年4月10日(東京本社発行)朝刊、23頁〕、日本芸術院会員となる。1979年(昭和54年)、動脈硬化症肺炎により死去、94歳〔『現代俳句大事典』 371頁〕。「若葉」主宰は清崎敏郎が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「富安風生」の詳細全文を読む




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