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高野素十 : ミニ英和和英辞書
高野素十[たかの すじゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 

高野素十 : ウィキペディア日本語版
高野素十[たかの すじゅう]
高野 素十(たかの すじゅう、1893年3月3日 - 1976年10月4日)は、茨城県出身の俳人医師医学博士)。高浜虚子に師事。虚子の唱えた「客観写生」を忠実に実践、簡潔で即物的な写生句で頭角を現し、山口誓子阿波野青畝水原秋桜子とともに「ホトトギス」の四Sと称された。「芹」主宰。本名は高野与巳(よしみ)。
== 生涯 ==
1893年、茨城県北相馬郡山王村(現取手市神住)に生まれる。農家の長男で、小学校卒業まで利根川とその支流貝木川に囲まれた美しい田園地帯で育った。1905年、新潟県長岡市に住む叔父のもとに寄宿し新潟県立長岡中学校に入学。第一高等学校を経て、1913年に東京帝国大学医学部に入学。
1918年大学卒業。法医学教室に入局し、法医学および血清学を専攻する。同じ教室の先輩に水原秋桜子がおり、秋桜子の勧めで1923年より句作を開始。なお医学部教室毎の野球対抗戦では、素十が投手、秋桜子が捕手でバッテリーを組むなどしている。同年より東大俳句会に所属、「ホトトギス」12月号において初投句にして4句が入選。1926年には初巻頭を取り、やがて秋桜子、山口誓子、阿波野青畝とともに「四S」として知られるようになる。
1929年、医学研究に専念するため一時句作を中断。1932年に再開。同年、新潟医科大学(現・新潟大学医学部)助教授となり、ドイツのハイデルベルク大学に留学。帰国後の1935年、新潟医科大学法医学教授に就任、新潟市に住む。1936年、論文「パラチフス腸炎菌属菌種の鑑別用免疫血清(独文) 」 により医学博士。のち新潟医科大学第6代学長も務めた。1953年、新潟医科を定年退官。奈良医科大学法医学教授に就任し奈良県高取町に移住。また「桐の葉」雑詠選者となる。1954年、大阪毎日俳壇選者。京都市山科区に移住。1957年、「桐の葉」選者を辞し「芹」創刊・主宰。1960年、奈良医科大学を退職。
1976年、軽い脳溢血により入院。9月号から翌年5月号まで「芹」を休刊。1972年、神奈川県相模原市に移住。1976年8月、前立腺肥大症のため入院。11月号をもって「芹」を終刊。同年10月4日、自宅にて死去。83歳。千葉県君津市の神野寺に葬られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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