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宮島 健一(みやじま けんいち、1895年7月5日 - 没年不詳)は、日本の俳優である〔キネマ旬報社, p.576-577.〕〔揚幕社, p.37.〕〔報知, p.309.〕〔''宮島健一''、''jlogos.com'', エア、2013年3月13日閲覧。〕〔''宮島健一''、日本映画データベース、2013年3月13日閲覧。〕〔''宮島健一''、''宮島憲一''、日本映画情報システム、文化庁、2013年3月13日閲覧。〕〔''宮島健一''、''宮嶋健一''、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年3月13日閲覧。〕〔''宮島健一''、KINENOTE, 2013年3月13日閲覧。〕〔''宮島健一''、''宮島憲一''、日活データベース、2013年3月13日閲覧。〕〔''宮島健一''、映画データベース、東宝、2013年3月13日閲覧。〕〔''宮島健一''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年3月13日閲覧。〕。本名菱田 勇吉(ひしだ ゆうきち)〔〔〔、旧芸名宮島 憲一〔〔〔〔、宮島 健弌〔。新劇の「舞台協会」出身でありながら、日活向島撮影所においては新派に組して脱退、という若いスター時代の経歴を持ち、戦前・戦中の松竹蒲田撮影所、松竹大船撮影所、戦後の大映東京撮影所のバイプレーヤーとして知られる〔。 == 人物・来歴 == 1895年(明治28年)7月5日、東京府東京市に生まれる〔〔。『現代俳優名鑑』(揚幕社)には、同年1月21日生まれとされており、出生地も「名古屋市傳馬町三丁目」とあり、同地は出生時点でいえば愛知県愛知郡熱田町大字伝馬町(現在の同県名古屋市熱田区伝馬)である〔。 旧制専門学校(現在の新制大学)に進学したが中途退学する〔〔。満17歳を迎える1912年(明治45年)、埼玉県北足立郡大宮町(現在の同県さいたま市大宮区あるいは北区)にあった吾妻座に出演したのが初舞台である〔。その後、1914年(大正3年)、前年に結成された「舞台協会」に参加する〔〔。 新劇の舞台俳優としてのキャリアを積むが、『世界のキネマスター』(報知新聞社)によれば1919年(大正8年)〔、『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社)によれば1920年(大正9年)に桝本清の紹介によって、新派の俳優として日活向島撮影所に入社、同年4月23日に公開された田中栄三監督の『恋慕流し』で映画界にデビューした〔。1922年(大正11年)12月、田中栄三が監督した『京屋襟店』に出演、完成後の試写後の夜に、藤野秀夫、衣笠貞之助、島田嘉七、東猛夫ら幹部俳優13名が集団退社の辞表を提出、国際活映(国活)に引き抜かれる事件が起きるが、宮島もこれに連座し、国活に電撃的に移籍している〔〔〔〔。『現代俳優名鑑』によれば、当時、宮島は浅草区千束町一丁目120番地(現在の台東区西浅草3丁目)に住み、身長は5尺6寸1分(約170.0センチメートル)、体重16貫匁(約60.0キログラム)、常用煙草は敷島で、酒はビールであるといい、当時の宮島にとっての代表作は、『永遠の謎』(監督若山治、1922年)における「薗部子爵」役であるという〔。 1923年(大正12年)4月には国活が経営危機に陥り、衣笠貞之助、島田嘉七らとともに、京都に牧野省三が設立したマキノ映画製作所へ移籍、同社の設立第1作であり、衣笠の監督作である『二羽の小鳥』に出演、同作は、同年6月1日に公開された〔〔〔。1924年(大正13年)7月、同社は東亜キネマに合併され、同撮影所は東亜キネマ等持院撮影所となり、同年10月、帝国キネマ演芸(帝キネ)が大量のヘッドハンティングを実施し、宮島はこれに応じて帝キネに移籍する〔〔〔。宮島のいた小阪撮影所は1925年(大正14年)に閉鎖され、選別されたメンバーだけが東邦映画製作所に移籍したが、同社はまもなく解散、宮島は東亜キネマに戻っている〔〔〔。 1928年(昭和3年)には、東京に戻り、松竹蒲田撮影所に移籍した〔〔〔。1936年(昭和11年)1月15日、同撮影所は、神奈川県鎌倉郡大船町(現在の同県鎌倉市大船)の松竹大船撮影所(現存せず)に全機能を移転、宮島も異動になった〔〔〔。第二次世界大戦の勃発後も、しばらくは出演作がみられる〔〔。 戦後は、大映東京撮影所(現在の角川大映撮影所)に所属し、多くの作品の脇役・端役を務め、記録に残る最後の出演作は、満70歳となった1965年(昭和40年)7月31日に公開された『六人の女を殺した男』(監督島耕二)であった〔〔〔〔〔。以降の消息は不明である〔。没年不詳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮島健一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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