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孟宗 : ウィキペディア日本語版
孟宗[もう そう]

孟 宗(もう そう、? - 271年)は、中国三国時代の人。恭武荊州江夏郡の出身。「二十四孝」の一人に数えられると共に、モウソウチク孟宗竹)の名前の由来になっている。
== 生涯 ==

若い頃、南陽李粛の元で学問を学んだ。その際、母は厚く大きな布団を作ってやった。ある人がその理由を尋ねると、母は「わが子は客人を招くような徳はありませんが、学問を志す者には貧しい人が多いでしょうから、大きな布団を作り、素性が似た人同士で交友するようになるよう願ったのです」と答えた。孟宗が書を夜も忘れて読み耽ると、李粛は彼を宰相の器であると評した。
その後、朱拠の軍吏となり、母を連れて軍営で暮らした。しかし志を得られず、住まいが雨漏りしたので、孟宗は泣いて母に謝った。しかし母は「今はただ励み勉める時です。泣くほどの事でしょうか」と言った。朱拠は孟宗の事を知るようになると、彼を塩池司馬に任命した。あるとき孟宗は自分で網を作って魚を捕らえ、魚の漬物を作って母に食べさせようとした。しかし母はそれを返し「お前は魚を管理する官なのだから、私に魚を送ってきては嫌疑をかけられますよ」と窘めた。
また母が筍を好んだため、冬で筍が採れる季節ではない時、孟宗が竹林に入って哀嘆したところ、筍が生えてきたため母に食べさせる事ができたという。これがモウソウチク(孟宗竹)の名前に孟宗が使われる由来とされる。
その後、孟宗は県令に昇進した。その頃、呉では孫権により、親が死んだ場合でも長官は後任が来るまで喪に服する事は出来ない事とされており、違反すれば死刑と定められていた。しかし、孟宗は母の死に際してその禁を犯し、県令の地位を捨ててまで喪に服したため、拘禁され刑を執行されそうになった。陸遜が彼を助けるよう申し出たため、孫権は孟宗の罪一等を減じたという。
それからまた官に復帰し、太平3年(258年)には光禄勲となった上で、孫綝らによる孫亮の廃位に加わっている。永安5年(262年)には光禄勲から右御史大夫に昇進した。孫皓が即位すると、孫皓の字が元宗であったため、孟宗はその字を避けて孟仁と改名した。宝鼎3年(268年)には右御史大夫から司空に昇進したが、建衡3年(271年)に死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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