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大平サブロー : ミニ英和和英辞書
大平サブロー[たいへい さぶろー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
ブロー : [ぶろー]
 【名詞】 1. blow 2. (n) blow
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

大平サブロー : ウィキペディア日本語版
大平サブロー[たいへい さぶろー]

大平 サブロー(たいへい サブロー、1956年2月24日 - )は、日本お笑いタレント。本名、芦田 秀嗣(あしだ しゅうじ)。
大阪府守口市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー大阪本部所属。旧芸名は太平 サブロー(読み同じ)。血液型はO型。若手芸人からはサブロー師匠、トミーズハイヒールからはサブロー兄さん(略してサブ兄)、やしきたかじん明石家さんまからはサブやんと呼ばれている。大阪市立此花工業高等学校(後に大阪市立此花総合高等学校、閉校済)卒業。
== プロフィール ==

=== デビュー~コンビ解消 ===
高校卒業後役者をしていた時期もあったが漫才トリオ・レツゴー三匹に師事し、1976年大平シローとともに「太平サブロー・シロー」のコンビ名で松竹芸能所属の漫才コンビとしてデビュー。
その後、毎日放送の「ヤングおー!おー!」出たさに吉本興業への移籍を希望するが、吉本と松竹との協定で芸人の引き抜きは禁止されていたため、どうしようと悩んでいる所に師匠のレツゴー三匹から破門される。実は2人の移籍したい気持ちを知っていたレツゴー三匹がスムーズに吉本に行けるように破門する芝居をしていた(従って今も師匠・弟子としての関係は続いている)。1年後に吉本入り。
厳しいシローのツッコミに耐え切れずコンビを一時解消。サブローは鳳キング・ポーカーのポーカーと「チンカラホイ」を結成もすぐに解消し失踪、ラーメン屋を経営。シローは浮世亭ジョージと「ジョージ・シロー」というコンビを組んで凌ぐ。
コンビ復活後、1980年代の漫才ブームの波に乗り、人気漫才コンビとしての地位を確立した。
1988年4月、吉本から独立して東京の芸能プロダクションに所属。年収は2000万円と悪くなかったが、吉本興業が太平サブロー・シローの仕事の中心を大阪での漫才としていたため、それに逆らって本格的に東京へ進出することを望んでの独立だった。独立した当初、「笑っていいとも!」出演時には吉本ザマミロ!などと相当毒づいていた。その後レギュラー番組を3本降ろされて、5ヶ月後には完全に仕事を失い干された状態に陥る。これは、慰留した吉本の役員や芸人の説得を振り切って(サブローが「辞めて独立します」と幹部に言った時に、幹部から「そこまで独立したかったら辞め。その代わり何かあっても知らん」と言われたという説もある)独立したことにより、吉本がテレビ局に彼らを使わないよう圧力をかけたためであると言われる。その後、シローとのコンビはお互いの仕事観等の意見対立から喧嘩別れする形で解散し、更にプロダクションとも契約が切れて完全に干上がってしまったため、それに耐えかねて1993年にまずサブローのみが吉本に復帰した。復帰できた背景には、サブローが吉本の先輩で有力タレントである明石家さんま島田紳助オール巨人らに伴われて吉本に詫びたことがある。北新地の飲み屋でやしきたかじんと一緒に木村制作部長に土下座をし、許してもらえた〔太平サブロー吉本復帰の裏に「たかじんさん土下座」 〕。
。ただし、3ヶ月間はノーギャラ、独立しようとするタレントへの説得、林正之助会長の墓参りなど、吉本から課せられた7つの条件を全て呑んで許された復帰だった。
喧嘩別れする形でのコンビ解消、サブロー単独での吉本復帰(後にシローも吉本復帰)などの要因で、かつての相方大平シローとは、絶縁状態とされていたが、その後に関係は修復されており、サブローがトーク番組でも「あの時シローちゃんが…」と、今でもシローの話をすることがある。
2012年2月9日午後2時32分、シローが大阪市内の病院で死去したため、コンビ復活は不可能となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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