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大島蓼太 : ミニ英和和英辞書
大島蓼太[おおしま りょうた]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [たで]
 【名詞】 1. knotweed 2. jointweed 3. smartweed

大島蓼太 : ウィキペディア日本語版
大島蓼太[おおしま りょうた]
大島 蓼太(おおしま りょうた、享保3年(1718年) - 天明7年9月7日1787年10月17日))は、江戸時代俳人。本姓は吉川。は陽喬、通称は平助、雅号は雪中庵、里席、宜来、老鳥、豊来、空摩など多数。与謝蕪村加舎白雄などと共に中興五傑の一人。
== 生涯 ==
信濃国伊那郡本郷村(現長野県上伊那郡飯島町)生まれ。幼時に一家で江戸に出て、幕府の御用縫物師を務めた。
元文5年(1740年)雪中庵二世桜井吏登の門人となり俳諧を学ぶ。松尾芭蕉追慕の念から、寛保2年(1742年)『奥の細道』を吟行するため奥羽行脚に旅立ち、その翌年、郷里の飯島に立ち寄り、与田切川の河畔に現地の門人らと「雪塚」を建立した。
延享4年(1747年)雪中庵を継承し三世となる。芭蕉への回帰を唱えてその研究と顕彰に努め、三千余人の門人を有した。また江戸座宗匠の旧態を批判し、一大勢力を築いた。
没後は深川の要津寺に葬らた。
== 著作 ==

*雪おろし
*芭蕉句解
*蓼太句集
*ほうぐ袋
*七柏集
*春の月

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大島蓼太」の詳細全文を読む




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