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夢窓疎石 : ミニ英和和英辞書
夢窓疎石[むそう そせき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ゆめ]
 【名詞】 1. dream 
: [まど]
 【名詞】 1. window 
: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 

夢窓疎石 : ウィキペディア日本語版
夢窓疎石[むそう そせき]

夢窓 疎石(むそう そせき、道号が夢窓、法諱が疎石、建治元年(1275年) - 観応2年/正平6年9月30日1351年10月20日))は、鎌倉時代末から南北朝時代室町時代初期にかけての臨済宗禅僧。七朝帝師。父は佐々木朝綱(ともつな)、母は平政村北条政村か?)の娘。佐々木頼綱(六角頼綱)の兄・経泰(つねやす)の孫とされる〔佐々木哲の説による(佐々木哲学校 - 壱岐大夫判官泰綱 (ブログ、2005年)より)。〕。
== 生涯 ==
伊勢国三重県)出身。幼少時に出家し、母方の一族の争い(霜月騒動?)で甲斐国山梨県)に移住する。1283年に甲斐市河荘内の天台宗寺院平塩寺(現在は廃寺)に入門して空阿に師事し、真言宗天台宗などを学ぶ。1292年奈良東大寺受戒する。京都建仁寺の無隠円範に禅宗を学ぶ。鎌倉へ赴き、円覚寺の桃渓徳悟、1299年には建長寺一山一寧のもとで首座を勤めるも嗣法には及ばず、1303年に鎌倉万寿寺高峰顕日禅宗を学び、1305年には浄智寺で印可を受ける。
応長元年(1311年)には、甲斐牧丘の龍山庵(浄居寺)に一時隠棲する。西遊して美濃国に虎渓山永保寺を開き、元徳2年(1330年)には甲斐守護の二階堂貞藤(道蘊)に招かれ牧庄内に恵林寺を創建し、鎌倉中期の渡来禅僧蘭渓道隆以来になる甲斐の教化に務めた。また、土佐国吸江庵上総国・退耕庵、相模国など各地の寺庵に滞在している。
1325年には後醍醐天皇の要望により上洛勅願禅寺である南禅寺の住持となる。翌1326年には北条高時に招かれ、伊勢国で善応寺を開いた後に鎌倉へ赴き、円覚寺に滞在。高時や北条貞顕からの信仰を得る。1330年には甲斐に恵林寺を開き、1333年に鎌倉幕府が滅亡すると、建武の新政を開始した後醍醐天皇に招かれて上洛、南禅寺に再住し、臨川寺西芳寺開山にも迎えられ、国師号を授けられた。
建武政権から離反した足利尊氏や弟の足利直義らは北朝を擁立して京都室町に武家政権(室町幕府)を設立する。夢窓は足利家とも縁があり、足利家の内紛である観応の擾乱では調停も行い、北朝方の公家や武士が帰依する。尊氏は後醍醐天皇らの菩提を弔うため、疎石の勧めで全国に安国寺を建立し、利生塔を設置した。また、京都嵯峨野天龍寺を建立し、その開山となった。その建設資金調達のため1342年天龍寺船の派遣を献策し、尊氏は資金を得ることができた。
生涯にわたり、夢窓国師正覚国師心宗国師普済国師玄猷国師仏統国師大円国師と7度にわたり国師号を歴代天皇から賜与され、七朝帝師とも称される。
1351年に死去、享年76。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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